子育て

2009年5月30日 (土)

フツーの子の思春期

非常によい本です。スクールカウンセラーとして、数多くの子どもたちから、きちんと話を聞き続けてきた実践のエッセンスを読むことができます。内容が実践に基づいているだけではなく、かなり高度に専門的な理論や考察が、日常的で平易な言葉で書かれています。

スクールカウンセラーという子どもたちの話しに耳を傾ける存在が、学校という日常の場に居続けるということの確かな価値を感じさせてくれる本です。高度に専門的な理解の枠組みも持ちつつ、日常の場で援助を行うという一見矛盾した営みを、丁寧に成立させていくことが、大きな価値を生み出すことを改めて実感させてくれました。

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2009年3月24日 (火)

棒付きチョコ

ちょっと不思議Ts3_3

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2008年8月17日 (日)

崖の上のポニョ

「崖の上のポニョ」を見てきました。絶賛するより他にないです。
掛け値なしに3歳から103歳まで楽しめる作品だと思います。勝手な想像ですが、他の文化圏でも、同じように人々を引きつけるのではないでしょうか?それだけ、普遍的なものが描かれているように思います。
個人的には、宮崎作品の中で一番すばらしい作品だと思いました。

ネタばれあり

ポニョが宗介に会いに行こうとすることは、甚大な災害を引き起こしてしまっています。何しろ、人工衛星が落下し、月が異常に地球に接近し、巨大な津波で、町ごと海に飲み込まれてしまっています。大げさではなく、地球規模の災害です。そんな中、宗介とポニョは、ポニョが魔法で大きくしたポンポン船に乗って、リサを探しに行きます。その途中で、船に乗って、避難しようとしている人たちに出会います。その人たちが、非常に印象的でした。
避難しようとしている人たちの船には大漁旗が掲げられていて、海のお祭りのようです。大きな災害に遭遇しているのに、悲惨さや悲壮感はなく、しっかりと足がついて立っている感じでした。

このシーンを見て、「風の谷のナウシカ」(原作)の一場面を思い出しました(7巻の最後の方、物語の終わり近く)。ナウシカがシュワの墓所で、墓所の主に向き合っているシーンです。墓所の主は墓所の主の人類を再生する計画を破壊しようとするナウシカに向かい「そなたは闇だ。いのちは光だ。」と非難します。ナウシカは、それに応え「いのちは闇の中にまたたく光だ」と叫ぶのです。

大きな災害が生じたり、世界は闇に包まれるかもしれない、しかし、いのちは小さくまたたいていて、消えそうであっても、光なのかもしれません。

「崖の上のポニョ」の登場人物達は、小さな存在であっても、またたくような光であっても、しっかりと光を放っているように感じました。ナウシカは叫んだけれども、叫ぶことさえ必要ないかもしれません。自分にできることを、自分にできる範囲で、淡々ときちんと行っていくこと、それが素晴らしいことなんでしょうね。

地球温暖化が深刻化してきて、私は、個人的には、自分の子どもたちが、本当に悲惨な目に遭うのではないかと、強く危惧しています(地球が人の住める環境ではなくなってしまうのではないかと心配です)。子どもたちを授かって、私は本当に幸せなのですが、悲惨な世界に子どもたちのいのちをを生み出してしまって良かったのかどうかと、疑問・不安・申し訳なさをつよく感じています。

宮崎監督の作品は、悲惨な世界でも、人間が生きていくプロセスは、美しく素晴らしいものだと、教えてくれるような気がします。ナウシカのように叫ぶ必要はなく、できることをできる範囲で淡々とこなしていくことが、生きていくすばらしさかもしれないと、私を支えてくれます。

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2008年7月11日 (金)

心が元気になる本(大河原美以さん監修)






 私のもっとも尊敬する心理臨床家(カウンセラー)の1人である大河原美以さん(東京学芸大学教授)が監修された「心が元気になる本」をやっと手に入れました。この本は、子どもたちが自分で1人で読んだり、大人と一緒に読んで、自分自身の嫌な気持ちと上手につきあえるようになることを願って書かれているようです。

 早速、読んでみました。

 はやと(小5)とみさき(中2)の2人が、スクールカウンセラーの山田先生と一緒に、自分の中に生じるイライラやクヨクヨという嫌な気持ちについて考えていくおはなしになっています。3巻になると、登場人物が増えて、もう少し大きな問題に直面している子どもたちが登場してきます。

 ところどころに「先輩からのアドバイス」というコラムもあり、大学生が自分の過去の体験を振り返って書いた文章が紹介されています。その大学生の過去の自分自身や、同じような問題に直面している子どもたち(読者)がサポートされているように感じられました。

 心の仕組みや問題について説明している部分もありましたが、子どもたちが、SCの山田先生と相談室でやりとりをしている部分が印象にのこりました。その部分は、実際の会話形式で書かれています。子どもの立場に立てば、自分が実際にカウンセラーと話しているような感覚になり、自分自身の否定的な気持ちがサポートされているような感覚が生じてくるように思いました。また、SCの側にたって読めば、子どもにどんな風に関わればよいのかを実際に体験的に理解できるような気がします。

 全体的に、この本は心についての知識を得る本ではないという印象を受けました。読みすすめるうちに、本の登場人物の体験や気持ちの動きが自然に感じられ、それに呼応して、自分自身の気持ちも自然に動き出してくるような本だと思いました。そういう意味では、「感じる」本です。読み終わった後に、自分自身の中に生じるいやな気持ちも、そっと大切に守っていけるような気がしました。

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 早速、うちの長女(小5)が、「その本、何?」と興味を持ってきたので、長女に勧めてみました。すぐに、読み始めて、ドンドン読み進めていき、その日の内に読み終わってしまいました。そんなに一気に読むものでもないような気がしましたが、内容にすごく引きつけられたようでした。

 長女の感想を聞くと、「途中から、ちょっと、泣きそうになった」とのことでした。「ホッとする感じがした」とも付け加えてくれました。このコメントでは、どんな風に感じたか、何を考えたかということが、今ひとつ分からないのですが、本人なりに、色々と感じるところがあり、でも、十分には言語化できないのかもしれないなぁと思いました。

 「もう少し詳しく聴かせてほしい」とお願いをすると、さらに付け加えてくれました。「学級崩壊とか不登校とか、自分にはあんまり関係ないけど、いろんな気持ちのことが書いてあって、そのことで、自分もいろんな気持ちが湧いてきて、気持ちがいっぱいになってきたけど、最後には、ホッとする気持ちになった。」というようなことを話してくれました。

 子どもが1人で読んでも色々と感じたり考えたりすることはたくさんあると思う本です。子育て・子どもに関わる大人が読んでも、子どもの立場になって、子どもを理解するためにも役に立つように思いました。

 この本は、各学校のスクールカウンセラーの相談室に必要だと思います。遊びに来た子が、何気なく、手にとって読んでくれると、すごく良いと思います。また、小児科の待合室にぜひ置いてほしいと思います。


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2008年6月20日 (金)

それって、意地悪な気持ちでやってる?

ある子どもとちょっと遊んだ時でした。
その子は、私のめがねを取って、なかなか返してくれませんでした。「めがねは大切なものだから、返してください。」と一応きちんと話してみましたが、返してくれませんでした。「こまったなぁ」といってみましたが、相手の子は、むしろ私が困っていることを楽しんでいるようなふうにも思われました。

 そこで、「それって、ちょっと意地悪な気持ちでやってる?」と穏やかに聞いてみました。それでも返してはくれず、余計に、返してくれない雰囲気が強くなってしまったようにも感じました。私は、かなり困ってしまって、その子の隙をついてぱっとめがねを取り返してしまいました。それで、その後は、また余計に何かを取られたりしても困ると思い、その子から少し距離を取って、その場をしのぎました。

 この体験は私には、後味が悪いものでした。そして、その後も、何となくそのことを考え続けていました。否定的な感情を、流さずに、きちんと受け止め、承認していくことが大切だと常々感じていましたし、自分の子どもたちとの関わりでは、そういうことを大切にやってきました。「それって、ちょっと意地悪な気持ちでやってる?」と投げかけた後に、その反応を受けて「きちんと教えてくれる?」と促して、子どもが何を感じて、意地悪な気持ちをぶつけてくるのかを話してもらうこともよくあることでした。その延長線上で、今回も、そういうふうに関わってしまったのでした。

 しかし、今回のエピソードでは、相手の子は、私とはほぼ初対面と言ってもよい子どもでした。だから、「意地悪な気持ちでやってる?」という投げかけは、失礼な投げかけだったと、あとで気づきました。まず「もしかして、僕と仲良く遊ぼうとしてくれてるの?」とか、投げかけてみることが、第一歩だったような気がします。それで、肯定的な反応が出れば、そこから関係が進みますし、否定的な反応が出れば、「えっ、もしかして、ちょっと意地悪??」とか驚きを交えつつ応えてみることもできます。

 私は相手の「意地悪」をとがめるつもりはありませんでしたが、私と初対面だった子にとっては否定的な感情を指摘され、叱られたり、非難されたりするような、気がしたかもしれません。関係がある程度深まってくれば、否定的な感情も、ある程度安心して表現できるようになりますし、否定的な感情こそが重要なテーマになってくるように思います。繰り返しになりますが、今回の場合は、その子に対しては、私の「意地悪な気持ちでやってるの?」という投げかけは、失礼な投げかけでしかなかったと言えます。

 なぜか友達とうまくいかない子どもたちは、こんなすれ違いを、日々の生活の中で繰り返しているのかもしれません。もしかしたら、周りの人の小さな工夫で、もう少しだけうまく関わりが保たれるのかもしれません。

 こうやって今思い出してみると、その子に対して「申し訳なかったなぁ」という気持ちが湧いてきます。それから、一応、(一応ではないか・・・)言葉を道具としている専門職ですから、もっともっと技術を磨きたいとあらためて強く思いました。

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2008年2月16日 (土)

大河原美以さん監修 「心が元気になる本」

私がもっとも尊敬する心理臨床家の1人である大河原美以さんが監修して子ども向けの心理教育的な本が出るようです。

出版社のチラシによれば

先生がたへ
 感情をコントロールすることができる子どもに育てるためには、どのように関わったらよいのでしょうか? 本書は、子どもたちとスクールカウンセラーとの対話の形を通して具体的な関わり方を示すことで、この疑問に応えています。
 本書は、子どもが自分で読み、理解し、安心することができる子どもむけの本です。同時に、担任の先生や保健室の先生やスクールカウンセラーなどが子どもといっしょに読むことで、子どもたちの感情を育てるために活用することができる本です。
 1巻では、イライラやクヨクヨといったいやな気持ちとどのようにつきあえばいいのか、ということを、子ども自身が感覚的に理解できるように、工夫しました。
 2巻では、日常生活の中の子どもたちの悩みをとりあげました。
 3巻ではいじめ・不登校・学級崩壊・リストカットなどの深刻な場面において、当事者の子どもだ
ではなく、その周囲にいる子どもたちの悩みにどう対応するのか、ということを示しました。
 図書館の本として、子どもたちに自由に手にとってもらえることを願うとともに、保健室や相談室などで、子どもたちといっしょにお読みいただけることを願っています。
監修:東京学芸大学教授 大河原美以
ということです。

学校向けの本というと、図書室においてあるだけという印象ですが、

担任の先生や保健室の先生やスクールカウンセラーなどが子どもといっしょに読むことで、子どもたちの感情を育てるために活用することができる本です。
と大河原美以さんは書かれています。大人が、子どもたちと一緒に本を読みながら、自分の気持ちに目を向け、お互いの気持ちを感じあうことができたら、どんなにかすばらしいだろうと、想像しました。

まだ本の内容は全く見ていませんが、期待大の本です。

出版社の本のチラシです
「kokoroga_genkininaru_hon.pdf」をダウンロード

この本の紹介のページ(出版社へのリンクです)
あかね書房


この本についての、続きの記事ですhttp://arusc.cocolog-nifty.com/arusc/2008/07/post_3240.html

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2007年6月23日 (土)

うれしかったこと

非常にうれしかったのですが、自慢する先もあまりないので、ここに書かせてください。

長女のクラスの子に、人に嫌がられるような事をすることが多い子どもがいます。

突っついて逃げたり、ちょっとしたことでたたいたり、すれ違いざまにわざとぶつかったり、というような感じです。学校公開や授業参観の時にも、私自身が何度も目撃しました。

ある日の夕食の時、その子について長女が「○○ちゃんが、この前、私のことを××って呼んだんだよねぇ・・・。」と言うのです。(××には、長女の名前をもじった言葉が入ります。)以前にも、「嫌なことをされる」と言っていたことがあったので、“また、嫌がらせされちゃったんだなぁ・・・。”と思ったのですが、長女の受け止め方は違っていました。

その後に続けて長女が言うには、「今までは、『オイ』とかしか言わなくて名前を呼んだりしなかったけど、××って言ったのは、私の名前を覚えてくれたんだよね。」とのことなのです。

その長女の言葉に感激して、「それはねぇ、本当にその通り! 大人でもそういうことに気が付くのは難しいけど、そこに気が付いたのは、本当にすごいねぇ!」とほめまくってしまいました。

長女がそういうことに気がつけたというのは、もちろん長女自身もすばらしいと思うのですが(親ばか?バカ親?ですね。)、きっと今の学級の雰囲気がすごくいいっていうこともあるんだろうなぁとも思いました。

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2006年12月22日 (金)

トイレでウンチ

下の子(4歳・男)がやっとトイレでウンチができるようになった。トイレでウンチをさせていると、下の子は、私をじっと見つめてウンチをしている。私は目のやり場に困って、つい目をそらしたりしている。

それで、下の子に、どこを見たらいいかを聞いてみると、「○○くん(自分)の方を見て!」とのこと。

そう言われたので。次回はちゃんと下の子の方を見ていると、気張っているときの表情があまりにも面白くて、吹き出してしまった。それで、下の子も気が抜けてしまい、きちんと気張れなかった様子・・・。

さて、どうしたものか。

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さかなクンの「いじめられている君へ」

いじめに関連して、各新聞で、子ども達に向けたメッセージが掲載されています。そのなかで、さかなクンのメッセージがすごく心に残りました。素直で、素朴で、すっとこころにしみこんでくる感じです。メッセージを読むと、魚を全身全霊で愛しんでいるさかなクンの姿(テレビを通してみる姿ですが・・・)が、浮かんできて「外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。 」という言葉が力強く私のこころに響いてくる感じがします。

さかなクンは、TVチャンピオンの魚通選手権の時に見て以来、この人はただ者ではないと、思っていました。
ただの1ファンかもしれません。
さかなクンのメッセージ(asahi.com)
さかなクンのオフィシャルホームページ

ちなみに石田衣良のメッセージも非常に心に残ります。ある意味さかなクンと対照的なメッセージです。石田衣良のメッセージは、どの様にすれば相手にインパクトを与えられるのかがしっかりと計算されているような気がします。職人の業ですね。

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2006年11月27日 (月)

いじめ

いじめ

いじめは「what」ではなく「how」の問題として生じています
 たとえば、ある生徒がある生徒に「かっこいい!」と言ったとします。それは、文字面だけをとらえれば、肯定的な表現です。しかし、非常に気まずい失敗をしたときに周囲から「かっこいい」とはやし立てられてしまうと、その「かっこいい」は肯定的な意味合いではなく、否定的な意味をもつと考えてかまわないと言えます。何を言ったか、何をしたか(つまりwhat)ではなく、どのような状況で、どのように言ったかが(つまりhow)、いじめの問題を考える上で重要になります。
 文部省では、いじめを「被害者がいじめだと感じたら、いじめである」というような定義をしています。これは、いじめがwhatの部分で明確に定義できないから、苦肉の策としてこのように定義したのではないかと、私は考えています。

いじめ被害への援助
 いじめが、howの問題として生じているわけですから、もちろん、援助においても、howの部分を重視しなくてはならないでしょう。つまり、いじめがなくなる、解決することのみが重要ではなく、どのようにいじめがなくなるのか、どのようにいじめが解決するのか、というhowの部分が非常に重要なのです。
 また、いじめの状況では、被害者が、いじめの状況や加害者をコントロールすることは、まったく不可能でしょう。被害者は、自分の思い通りにならない事態に陥れられているわけです。従って、援助のプロセスでも、被害者が自分の思い通りに援助が進んでいかないと受け止めることは、被害者にとっては、いじめと同じような状況が再現してしまうといえます。こうなってしまうと、援助者が、必死に援助しようとすればするほど、いじめの被害者は被害的な気持ちを募らせてしまうことになります。
 援助者が自分勝手に思い描く、「いじめの解決の状態」を被害者に押しつけるのではなく、どうなりたいか、どうしてほしいのかを具体的に共通理解を図ることが援助の第一歩だと思います。

いじめ被害への援助が目指すもの
 どんなに良い援助をしても、いじめの事実そのものが消えたり、いじめの記憶がなくなったり、いじめによる心の傷が消えることはありません。その意味でいじめの被害が解決することは決してありえないと言えます。
 それにも関わらず、いじめの被害者がいじめの被害を乗り越えていけるのは、援助のプロセスそのものが、「自分も価値ある存在だ」、「人間は暖かいものだ」という感覚を思い起こさせてくれるからです。
 何をするかということにこだわる援助ではなく、どのようなプロセスをたどって被害者の利益を回復するかという援助を目指すことが必要でしょう。

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2006年10月13日 (金)

共に眺める関係

「共に眺める関係」って、私が勝手に呼んでいるんです。「いわゆる三者関係です。でも、二者関係・三者関係って言ってもわかりにくいんで、「見つめ合う関係」(二者関係)、「共に眺める関係」(三者関係)といつも呼んでいます。

で、「共に眺める関係」っていうのは、専門用語で言う、共同注視ですね。何かを指さすとき、指そのものではなく、指が指している何かに注意を向けることができる能力を人間は、自然に発達させていきますね。それって、よく考えると、すごいことです。だれも、そういうことを具体的に教えてもらって、分かるようになるんじゃないんですね。
この本では、そのことについて、浮世絵の母子像から、論じているようです。すごく、おもしろそうです。

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2006年9月23日 (土)

どうして○○君って名付けたの?

このまえ、うちの下の子(4歳:男)が突然聞いてきました。
子「どうして○○君ってなづけたの?」
私「・・・!!」
子「どうして○○君ってなづけたの?」
私「えーと、かっこいい男の子になりますようにって、願いを込めてつけたんだよ」
注:本当はそうでもないのですが、下の子は「かっこいい」ということに、非常に強く価値をおいているので、そう言ってみました。
子「○○君は自分の顔、好きじゃないんだよ。」
私「・・・。」
子「だから、別の子になるから、その子に、○○君って名付けてね。」
私「・・・。」
そのあと、下の子の事がすごく大切であること、顔もお腹も足も手も鼻も口も髪の毛も全部大好きだと真剣に伝えてみました。

子どもの「名付けた」という言葉に驚きましたし、それ以上に、4歳にして、自己否定的な傾向を持ってしまったのかと、妙に心配になりました。

あまり関係ないのですが、最近の下の子の作品です。
Lego001_2

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2006年4月28日 (金)

お金の感覚

子どもがよく「これ何円?」と聞いてきます。何円レベル(1円から9円まで)で買えるものは、今の時代ほとんどありません。近所のディスカウントスーパーで9円のガムがあるぐらいです。スーパーとかで子どもが大声で、「これ何円!!??」と聞いてくるのが、ちょっと恥ずかしいですね。

自動車の値段を「何百円?」と聞かれると、ちょっと戸惑うと思います。「何円?」という聞き方は、ただ単に物の値段を聞いているのですが、その物の値段が一ケタ台だという印象を与えます。だからスーパなどで、「何円?」と聞かれると、ちょっと恥ずかしいのですね。

子どもはまだ、お金の感覚が充分に育っていないので、「何円?」と聞くことに違和感を感じないのでしょう。

そういうわけで、子どもが「何円?」と聞いてくると、さりげなく「いくらかなぁ?」とか言い直してしまいます。

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2006年4月24日 (月)

パパはキライ

 長男は4歳が近いのですが、最近特に聞き分けがありません。反抗期というやつですね。思い通りにならないことなどがあると、怒り出して「パパはキライ」などというのです。そう言われるといつも「別にいいよ。パパは○○君のことは好きだから、別に嫌いでいいよ。」などと言ってきました。

 この前、長男と遊んでいて、弾みで思いっきり顔をたたかれました。本人もたたこうと思っていてたたいたのではないようでしたが、あまりいたいので、腹が立って「○○君なんか嫌い」と言ってしまいました。すると、長男は「○○君はパパ好きだからいいよ」と言ってきました。

ちょっと、おかしくて嬉しかったです。

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2006年4月 3日 (月)

特設ギャラリー Yuuki展

こころをグッと引きつけられる絵です。
何だか気持ちが楽しくなってきます。
絵にあまりコメントや解説はいらないでしょう。
見ていただくことが第一ですね。

--特設ギャラリー Yuuki展--(あいち発達障害者支援センター)

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2006年3月 3日 (金)

わがまま


10月さんのブログで、こんなことが書いてありました。

 ぼくが、このクラスで、実現したかったことは、みんながワガママを言えるようなクラスになってもらうことでした

 こういう目標を持つこと自体がすごいと思います。しかも、これを、生徒の前で言うところがすごいですね。絶賛したい気分です。

ところで、
小中学校だと、教室の前に、学級目標とか、学校の目標みたいなものが貼ってありますよね。
例えば

つよい子
  じょぶな心と体で、がんばりぬこう

やさしい子
  思いやりの心をもち、助け合おう

かんがえる子
  進んで考え、学びつづけよう

とかいう感じです。
そこに、

わがままな子
  自分の気持ちや考えを遠慮せずぶつけよう

とか、書いてあると面白いだろうなぁと、考えるだけで、うきうきしてきます。

子どもがちゃんとわがままを言えるようになってきたら、先生も子どもにわがままを言えるようになると良いですね。わがままが言い合える関係って、ステキです。

そういえば、私も、クライエントに遠慮なくわがままを言ってもらえるカウンセラーになりたいものです。

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2005年8月 7日 (日)

保育の質

先日、下の子どもが保育所にウルトラマン○○の帽子をかぶっていきました。多くの子どもたちは、キャラクターものの靴をはいたり、キャラクターものの持ち物を沢山持っています。うちの子は、キャラクターものの持ち物はほとんど持っていません。値段が高いからです。でも、上の子どもつながりのお母さんから、お下がりで、ウルトラマンになれる帽子とTシャツとズボンのセットをもらったのです。キャラクターものをほとんど持って行かせていなかったので、ちょっとかわいそうにも思っていたので、帽子をかぶらせて保育所に行きました。

そしたら、同じクラスの子どもたちはかなりうらやましかったようで、帽子の取り合いのようなことがちょっと生じてしまったようでした。「貸して」とか「貸さない」とかで、ちょっとしたけんかが何回も生じたようです。

親としては、保育士さんに少し申し訳ないような気がして、それ以来帽子をかぶらせて行かなかったのです。そのことをちょっと保育士さんに言ってみたら、「全然大丈夫ですよ、そうやって育っていきますから」というふうに言われました。ちょっとホッとしたというか、安心したというか、感激したのです。

保育をする上では、ある子どもの持ち物を巡って取り合いになったりするのは面倒なことだと思います。だから、「持ってこないでください」といえば、簡単なことだと思います。でも、そうしないで、色々ごちゃごちゃありながら、でもそこできちんと関わって子どもが育つことを支えていくというのが、やはり保育の質かなあと思いました。

上の子も下の子も、同じ公立保育所に通ったのですが、なんとその保育所は民営化されてしまうようです。時代の流れとして仕方がないような気がしますが、親としては、納得いかない面も多いのです。

ウルトラマンの帽子を許容せず保育するのと、それを許容して保育するのでは、表面的にはほとんど違いがないかもしれません。問題に目を向けそれが起きないようにする保育と、子どもの成長に目を向けそれをサポートする保育では、そこに子どもにとっての保育の質の違いが生じるように思いました。保育所が民営化になってもそういう保育の質が保たれることを願ってやみません。

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戦争と自分

高校生の頃、疑問に思っていたのですが…。「平和の大切さを伝えるために、戦争の体験を風化させてはいけない」ということに少し違和感がありました。平和を大切であることも、戦争の体験を風化させてはいけないということも、私は全面的に賛成です。でも、この2つが単純に結びつけられることには違和感があります。平和が大切だと分かるためには、戦争が必要になってしまうのです。
しかも、必ず戦争の体験は、風化していってしまうでしょう。歴史の教科書に記されるような、事実としての戦争は記録として残っていくはずです。でも、体験としての、生々しい記憶は、時間が経つに連れて必ず失われていくはずです。これは、悲しいことでもあり、でも、幸せなことでもあるはずです。

私は、戦争は絶対にイヤだし、あってはならないことだと思います。だからこそ、戦争の体験を語り継いでいくこと(はもちろん大切だと思うのですが)だけでは、平和の大切さを感じ、戦争を起こさないようにしようと思う気持ちを育てていくには、足りないように思うのです。

私は思うのですが、戦争は私の外側にあるのではなく、私の内側にあるのです。私の中には、怒り・憎しみ・敵意が確かに存在します。そして、事なかれ主義・現状への追随・大きなものへの迎合もやはり、私の中に確かに存在します。これらときちんと向き合っていくことこそ、私にとっては戦争への反対運動であり、平和活動ではないかと感じています。

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2005年7月 1日 (金)

財布からお金が抜き取られる

 中学生ぐらいの子どもがいる家庭で時々生じる問題ですが、「置いてあるお金が少しずつ抜き取られているようだ」といった問題があります。私が個人的に考えていることを少し紹介します。

 まず第一に重要なことは、お金は置いてある場所は決まっているということです。第二には、おそらく今後も何度かお金が抜き取られて行くと予想されることです。つまり、単純なことですが、こういった問題の性質上、対策が可能だと言えます。さて、皆さんは、どういった対策を考えますか?

 私なら、お金を置いてある場所に、メッセージを書いた手紙を置いておくことをやってみたいと思っています。
お金が抜き取られる財布の中に、すぐに目に付くようにして、「お金が必要なら言ってください。ここにいくら持っていくかメモしてください。」とか、わかりやすく、簡潔に書いて置くわけです。そして「何か、言いたいことがあれば、いつでも言ってきてください。」などと書いても良いかと思います。大切なことですが、きちんと財布にお金は入れておきます。そしてお金が抜き取られていくかどうかが分かるように、別の場所に金額を記録したうえで、財布は今まで通りの場所に置いておきます。

 もし、それでも、お金が抜き取られ続けるのであれば、さらなる手を打ちます。今度はお金を入れないで、同じ場所に同じように財布を置きます。「必要なお金は、きちんと渡します。だから、きちんと言ってください。」と書いた手紙を入れます。

 このアイディアは、だいぶ前から持っているのですが、自分ではかなり気に入っているアイディアです。でも、使うチャンスがありません。それが残念です。

 親の財布からお金を抜き取るという行動は、見つかっても構わないという気持ちが背景あります。もっと言えば、見つかってほしいとかそういう気持ちを持っているように感じられます。その気持ちにこそ関わっていかなければならないように思います。

 つまり、子どもは親子関係の中に何かを求めて、親のお金を抜き取るという行動をしているわけです。そして、分かっても構わない、分かってほしいという気持ちが動いています。お金を取られないように対処すると、親に何かを求めている気持ちそのものを拒否しているように受け取られてしまうでしょう。それは、なんだか寂しいような恐ろしいような気がします。

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2005年4月13日 (水)

初めてあくびが伝染する日

子育てネタばかりですが

「あくびがうつる」という文を以前に書きました。下に、コピーします。

不思議に思っている事ですが、ある人があくびをすると、近くにいる人がその直後にあくびをする事があります。あくびが伝染するわけです。人間同士だけではなくて、人間と動物の間でもこの現象は起きるようです。
例えば、犬を飼っているひとは、犬があくびをすると、その犬のあくびがうつってしまうということもあるようです。その逆は、あまり無いかと想像しますが、どうでしょうか? 飼い主との絆や信頼関係が強い犬だと、もしかしたら、飼い主のあくびがうつるのかもしれないとも思います。
さて、私の上の子どもは、相互にあくびがうつるようになりました。実は、いつあくびがうつるようになるか、最初にあくびがうつった時をきちんと見ておきたいと思っていました。でも、いつのまにかあくびがうつるようになってしまい、無理でした。ちょっと残念です。
下の子は、まだ1歳にならないので、今度こそ、いつあくびがうつるようになるのか楽しみにしていたいと思います。   2002/11/04 Mon

上の文を書いてから、しばらくして、2004年の7月に、なんと、きちんとした研究の記事を新聞で見かけました。つい最近思い出して検索してみると見つかりました。日本の研究者の研究だったんですね。HOPEという壮大なプロジェクトの一貫だったようです。

http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/hope/index-j.html

http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/hope/pub/hope2004-4j.html

http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/hope/pub/img/yomiuri20040724.html

この記事によれば

  1. チンパンジーもあくびが伝染
  2. 人間の場合でも、5才以下の子どもには、あくびは伝染しない
  3. あくびの伝染は他者に共感する能力と関連があるかもしれない

ということです。

始歩や初語ばかりが子どもの成長の証ではないんですね。初めてあくびが伝染した日は、子どもの人生の一大通過点かもしれません(笑)。子どもの「初あくび伝染」を親としてきちんと見届けたいものです。下の子はまだ2才ですので、できれば、ビデオにでも!?

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「夢をみたよ」

2才の子が「パパの夢を見たよ」等ということがあります。

これが、私には、非常に不思議なのです。

例えば、ライオンであれば、実物は見たことがなくても、絵本で見て、「これはライオンだよ」と教えることができます。しかし、夢は、夢を見ているときにそばにいて、これは夢だよと教えてあげることはできません。

なぜ、寝ている間に見たものが、起きている間に見たものと区別してこれは、夢だと分かるのでしょうか? 謎です。

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2005年4月12日 (火)

子どものみた夢

今朝子ども(2歳)が起きてきたとき、

「パパの夢見たねぇ」となんとなく嬉しそうに同意を求めてきました。

私は「そうだねぇ」と同意しました。

その朝見た夢は覚えていませんでしたが、もしかしたら、一緒の夢を見たのかな

と想像すると、ちょっとした幸せです。

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2005年4月11日 (月)

子どもの下痢

ここ3日ほど、子ども(2歳)が下痢になって、一日に何度もおむつを換えている。

病院でもらった薬が乳酸菌の薬で、また、市販の乳酸菌の薬も飲ませているせいか、

ウンチが酸っぱい臭いです。

赤ちゃんの頃のウンチの臭いを思い出して、少し懐かしい気分になりました。

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