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2010年10月

2010年10月31日 (日)

特別支援携帯アプリ

ドコモの携帯のアプリで、絵カードやタイマーなどの機能を持ったアプリが開発され、無料でダウンロードして使えるようです。
詳しくは、以下のサイトを見ていただけると良いかと思います。
http://jp.fujitsu.com/about/design/ud/sna/


時間の感覚を掴みにくい子どもたちに待ってもらうときに、タイマーは使いやすいと思いますし、絵カードは、予定や行動の計画を立てたり、生活の中で、混乱を防いだり、うっかり忘れを防いだりするのに役立ちそうです。

2010年10月29日 (金)

スクールカウンセラーに対する評価

「通りすがり」というお名前の方から、スクールカウンセラーの効果に関してコメントをいただきました。

スクールカウンセラーの業績は所属する学校の校長がどう思ったかではなく,問題が何件解決したかで評価しなくてはなりません。しかも,このことについては財務省の調査http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/sy160622/1606d_19.pdfがあり,臨床心理士であるスクールカウンセラーが多い自治体ほど問題解決率が低いという結果が出ています。

というご指摘をいただきました。

重要なことなので、記事としてアップさせていただきました。

通りすがりさんは、「問題が何件解決したかで評価しなくてはなりません」と書いておられます。しかし、紹介してくださった調査は、問題の解決に関しては全く調査されておりません。その調査では、問題行動が発生した件数を調査しているのです。そして、それを平成13年度と平成14年で比較しています。

 少し話がそれるようですが、ここで重要なことは、スクールカウンセラーは学校でどのような役割を果たすべきかということです。問題行動を予防するような役割を果たすのか、それとも、問題行動を解消・解決するような役割を果たすのかということです。私の現在の仕事の状況では、前者(予防的な役割)にはほとんど時間を割けず、生じてしまった問題を解消・解決に向けた役割を果たすことがほとんどです。今与えられている時間では、生じている問題行動(不登校など)に関して、保護者と面接をしたり、子どもとカウンセリングを行ったり、教職員とコンサルテーションを行ったりするだけで、手一杯です。本来なら、予防にも、問題の解消・解決にも、両方に充分に力を注ぎたいところですが、週に数時間程度の勤務では、スクールカウンセラーにできることは非常に限られています。

 既に生じた問題の解消・解決にどんなに力を注いでも、問題行動の発生そのものは減少しないものです。例えば、どんなに優れた抗ガン剤でも、ガンを予防することはないのです。また、スクールカウンセラーが相談を掘り起こして、今まで明るみでなかった対人関係の問題やいじめや暴力の被害が発見されることもあります。この場合は、問題行動の件数の増加につながります。

 つまり、紹介していただいた財務省の調査は、ある面では、抗ガン剤の効果を検討するために、ガンの発生の件数を比較しているようなものです。調べたいことと、調べているデータに整合性が低いため、本当に何が判ったのか、何が言えるのかが、曖昧になってしまいます。

 臨床心理士かどうかで、効果が違うのかどうかを確かめるデータは手元にはありません。もし、スクールカウンセラーが問題の解消・解決に効果があるのかどうかを検討するとしたら、以下のデータは少し参考になるかもしれません。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/21/08/__icsFiles/afieldfile/2010/03/12/1282877_1.pdf
「1-7 「指導の結果登校する又はできるようになった児童生徒」に特に効果のあった学校の措置」という項目をみていただくと、スクールカウンセラーも問題の解消・解決に役立っていると言えると思います。

中学校の不登校の問題についてデータをみていきます。
約30%の不登校の生徒が「指導の結果登校するまたはできるようになった」と報告されています。その場合に「効果のあった学校の措置」が何かということです。複数回答なので、回答数の多い順に紹介します。
1.家庭訪問を行い,学業や生活面での相談に乗るなど様々な指導・援助を行った 6020
2.登校を促すため,電話をかけたり迎えに行くなどした 5603
3.スクールカウンセラー等が専門的に指導にあたった 5503
4.保健室等特別の場所に登校させて指導にあたった 4918
5.保護者の協力を求めて,家族関係や家庭生活の改善を図った 4512
ということです。スクールカウンセラーが効果があると言うことではなく、学校では様々な手だてを通して子どもを支援指導していて、その一つがスクールカウンセラーであり、スクールカウンセラーも他の指導法と同様に効果があるということだと思います。

一方、問題の解消・解決も大切ですが、問題が生じないようにするようにすることも非常に重要です。その一つがストレスマネジメント教育です。これは、「ストレスマネジメントトラウマ」のブログで何度も紹介されています。(例えば、http://traumaticstress.cocolog-nifty.com/test1/2009/10/no2-7c46.html)。そういう活動の一部分をスクールカウンセラーが担うことも大切なことだと思います。

しかし、こころの健康に関する活動をスクールカウンセラーが幅広く行うには、時間的な制限が大きいと考えられます。平成13・14年頃は、スクールカウンセラーの各学校での勤務は週あたり8時間が多かったと思いますが、その時間でストレスマネジメント活動をスクールカウンセラーが行うことはかなり難しいと思います。なお、私の今年度の勤務は最も頻繁に勤務する学校で隔週で7時間の勤務です。状況はさらに厳しくなっていると思います。

現状でもスクールカウンセラーはある程度は役に立っていると言えますし、今よりももっと子どもたちの成長やこころの健康の役に立つ活動ができると思いますし、学校教育に貢献できると思います。

2010年10月 1日 (金)

こころもメンテ

厚生労働省が、9月から「こころもメンテしよう」というサイトを開設しています。

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なかなか良くできているサイトで、中学生高校生が読んで、自分のこころをメンテナンスする手助けになると思います。


学校の先生方向けには、「こころもメンテしよう~教職員の皆さんへ」というサイトが開設されています。


暴力や自己破壊に非暴力で対応する―一線を越えてしまう子どもと真正面から向き合うために

千葉大学で准教授をされている天貝由美子さんからいただきました。
まだ読んでいませんが、これから読みたいと思います。

原題は「Nonviolent Resistance -A New Approach to Violent and Self-Destructive Children」です。直訳すると「非暴力の抵抗-乱暴で自己破壊的な子供への新しいアプローチ」となります。

「Resistance」っていうところが、ちょっと注目のように思います。「不当な支配やコントロールにたいして屈することなく自分自身を保つ」というようなニュアンスを持つ言葉だと思います。相手を支配・コントロールすることはないが、自分も支配やコントロールさせない、という感じだと思います。

暴力にさらされると、どちらが主導権を握るかという争いになりがちですが、それはほとんどの場合不毛です。こちらが主導権を握ることができたとしても、それを相手に奪い返されないようにするため、相手との争いや駆け引きからおりることができません。主導権争いに縛り付けられてしまって、結局、自分自身の自由が奪われてしまいます。

暴力に対して「Nonviolent Resistance」という姿勢を保つことが、結局は自分の自由を確保するのかもしれません。

というようなことは、読む前の連想です。


こちらも天貝由美子さんが訳された本です。

おそろし 三島屋変調百物語事始


宮部みゆきさんの「あんじゅう」が出版されました。今日、記事にするのは、その前編の「おそろし」です。ずいぶん前に、読んだのですが「あんじゅう」が出たと知って、もう一度読み返しました。


17歳のおちかは、実家で起きたある事件をきっかけに、ぴたりと他人に心を閉ざしてしまった。ふさぎ込む日々を、江戸で三島屋という店を構える叔父夫婦のもとに身を寄せ、慣れないながら黙々と働くことでやり過ごしている。そんなある日、叔父・伊兵衛はおちかを呼ぶと、これから訪ねてくるという客の対応を任せて出かけてしまう。おそるおそる客と会ったおちかは、次第にその話に引き込まれていく。いつしか次々に訪れる人々の話は、おちかの心を少しずつ溶かし始めて…哀切にして不可思議。宮部みゆきの「百物語」、ここに始まる。

人が人の話を聴くということのおそろしさと可能性が書かれています。特に、人の話を聴き、人の世界に触れていくことの恐ろしさが非常に上手く表現されているように思います。
この物語では、主人公のおちかが、客の話を聴くことを通して物語が動いていきます。私もカウンセラーとして人の話をカウンセリングでも人の話を聴くことを仕事としています。人の話を聴き人の世界に触れていくことは、自分自身が慣れ親しんだ世界ではなく、慣れ親しんでいない違う世界に直面することになります。それは、自分自身が失われたり、当たり前と思っていたことが揺らいでしまうような体験になります。自分自身が、その人の世界に呑み込まれてしまうような体験です。そういう、人の話を聴くことによってもたらされる体験が非常に上手く表現されているように感じました。

また、主人公のおちかは、ある事件の被害者であり、遺族であり、当事者です。PTSDと言っては単純ですが、消化しきれない様々な思いを抱えています。人の話を聴くことによって、おちか自身の抱えている何かが動き出し、そして、より大きな混乱や危機に直面してしまいます。
こういったプロセスも、カウンセリングという場で生じていることと、非常に重なるような気がします。聴き手(カウンセラー)も、人の話を聴くことによって、混乱や危機に直面し、そして、そこを生き延びるというプロセスが生じるものです。

こういったことを連想し、おちかの体験をなぞり、聴くことについて考えさせられたのですが、物語の後半の展開には違和感が残りました。おちかの抱える問題の大きさ、人の話を聴き、その世界に呑み込まれていく、という非常に大きなテーマに比べて、終わり方があっけないような気がしました。物語の中に、消化不良の何かがしっかりと残されいるのではなく、物語は(ほぼ)きれいに終わったけれども、読み手である私に、モヤモヤした何かが残ってしまうのです。
おそらく、主人公のおちかは、著者の宮部みゆき自身なのだと思います。人の話を聴き、その世界に呑み込まれ、そこで生き延びてきた、著者自身の体験とそれをどう整理消化していくのかという著者自身の課題がこの物語として表現されているのだと感じました。それだけに、重要なテーマに著者が取り組んでいるのだと感じました。

だからこそ、続編「あんじゅう」が出たということは、重要なことだと思い、「おそろし」を再読したのです。「あんじゅう」は未読で、どのような物語か全く想像もできませんが、楽しみにしています。

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