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2010年6月

2010年6月28日 (月)

ジェダイ

NHKで、スターウォーズを見ています。

ジェダイってパダワンを大切にしますね。見捨てたりしません。
シスは、ほとんど弟子を大切にしません。

単純なことのようで、すごく大切なことのように思います。

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クリミナルマインド

最近、深夜番組でやっているクリミナルマインドを録画してみています。かなりお気に入りになってしまいました。

あの番組は結局、「大いなる父」の物語だなぁと思ったりします。何となく「大草原の小さな家」を思い出したりしました。全く詳しくないのですが、アメリカのテレビドラマには、「大いなる父」の物語の系譜があるんでしょうか・・・。

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2010年6月24日 (木)

記者の目:発達障害がある人の犯罪と矯正 野沢和弘(毎日新聞)

 なんとも不可解に思える事件で検挙された人に発達障害があったとき、刑事手続きのあり方やメディアの報道をめぐってよく論議になる。その問題を考えてみたい。

 見ず知らずの女性を刺殺した高校生が「人を殺す経験をしてみたかった」と供述して騒然となったのは10年前のこと。高校生は発達障害の一つであるアスペルガー症候群と診断された。脳に何らかの原因がある先天的な障害でコミュニケーションや相手に共感することが苦手なため、悪意はなくても相手の感情を逆なですることがある。

 7年前、4歳児が裸で立体駐車場から発達障害ありとされた少年に突き落とされた事件では、地元新聞各紙が3日連続1面トップで障害名を報じ、障害者の家族や支援者からマスコミ批判が起きた。

 そのころから報道は変わった。自宅に放火して家族を死なせたり、母親に毒物を盛って衰弱していく様子を観察したり、若い姉妹を惨殺したり……。これらの事件でも容疑者に発達障害があると診断されたが、障害名が大きく報道されることはなかった。

 今年3月、触法障害者の矯正について英国を取材した。二つの保安病院を視察し、研究者や英国自閉症協会のスタッフに会った。殺人など重要事件を起こした障害者が収容されている高度保安病院では、患者1人に年間4000万円の予算が費やされている。再犯のリスクが低減して地域生活に戻ると、後見命令によって6~12人のスタッフが24時間態勢で見守り支援をするという。これらは本紙くらしナビ面「障害者の『罪と罰』~イギリスからの報告」(3~4月掲載)で紹介した。
 ◇議論が政策生む

 悪意や反省という概念が私たちのようには成り立たない障害特性への理解、彼らの矯正に多額の公費をかけることを許容する世論にメディアがどう関与しているのか、私は知りたかった。そこでいきなり冷水を浴びせられたのは著名な自閉症研究者のパトリシア・ハウリン教授の言葉だ。「猟奇的な犯罪はメディアをひきつけ、アスペルガー症候群の人はみんな事件を起こすかのように報道する。10年前から少しも変わらない。ニュース性がなくなるとすぐに忘れ、フォローもしない」

 その後も弁護士や医師など会う人ごとにメディア批判を聞かされた。彼らにとってマスコミは敵であり憎悪の対象だった。実際、英国に滞在していた8日間、過去に重要事件を犯した人物の現況を報じるセンセーショナルな新聞記事を何度も見た。加害者の子どものころの写真を大きく載せた新聞もあった。

 他方、当事者団体やNPOが障害者の権利擁護や刑務所改革に取り組んでいた。政治家や省庁と協議の場を定期的に持ち、テレビやラジオで主張をアピールし、マスコミもそうした活動を報道する。むき出しの主張や思想が激しくぶつかり合い、議論のしぶきが政策決定の場にも飛んでいることを実感させられた。
 ◇刑罰でなくケア

 英国に比べ日本のマスコミはまだ抑制が利いていると思う。当事者団体やNPOの取り組みも弱いので、この問題が政治課題として注目されることもなく、予算も付かない。批判されなければマスコミは安心だし当事者団体も楽だが、被害者への同情が膨張する裏側に、「ゆがんだ障害者観」が張り付き、いつか偏見が腐臭を放つことになりはしないか。センセーショナルな報道には反対だが、批判を恐れて書かないことは問題を潜在化させるだけだ。

 権力や巨悪をナタで切るようには料理できない繊細で複雑な取材対象があるのに、私たちはその重要性を十分認識していないのではないか。テーマに合った取材手法や報道のあり方はもっと研究されていい。触法発達障害者の問題は、多様な専門性を要する繊細なテーマの典型だろう。

 英国取材は内山登紀夫医師(福島大教授)、大石剛一郎弁護士、堀江まゆみ白梅学園大教授、桝屋二郎医師(神奈川医療少年院)らと同行した。別々の専門領域のメンバーが同時に同じ取材をし、思考が固まらないうちに空港やホテルやタクシーの中で議論した。異職種チームで複眼的アプローチを試みたのである。

 触法の発達障害者に必要なのは刑罰ではなく自分を肯定できるケアであり、それが再発防止や治安維持にも有効であること。英国には死刑がなく、終身刑という概念が刑事政策の隅々に影響していること。共感や反省が苦手な発達障害者の特性を理解せず、被害者感情を盾に厳罰化を求めても真の安心は得られないこと。性急に結論を出そうとして発達障害の本質をはずしているメディアや司法が議論の熟成を阻害していること--などのヒントが浮かんだ。国内で調査研究を続け、報告したいと思う。
毎日新聞 2010年6月3日 0時39分


記事を見かけたのでコピーしておきます。
発達障害に関係するケースはスクールカウンセラーという立場でも数多く出会います。
発達障害に関係するケースで最も必要なことは、関係者がお互いに理解し会うことだと感じています。

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怒鳴ったりしないで、しっかりきちんと関わりたい

 中学校で仕事をしていて、廊下にまで怒鳴るような大きな声が聞こえてくることがあります。校則違反をした生徒が、別室に呼ばれて(生徒指導の?)先生から、厳しく注意・指導されている(と思われる)場面です。

 ごくシンプルに言えば、厳しくきちんと説いて聞かせるような指導は必要だと思います。しかし、大声で怒鳴ったりするような指導は、むしろ有害ではないかと想像されます。

 理由は色々と挙げられるのですが、私がここで強調しておきたいことは、「育てたように子は育つ」からです。これは相田みつおさんの詩の言葉ですが、学問的にもこのことは知られており、「世代間伝達」という概念まであります。知らず知らずのうちに、子どもは自分を育ててくれた大人と同じようなやり方、態度を身につけてしまうということです。重要なことは、大人が「注意指導している内容」ではなく、「どのように注意指導するか」を子どもは、知らず知らずのうちに学んでしまうということです。

 ほとんど全ての先生方は、子どもに愛情を持ち、一生懸命になって、子どもに良かれと思って指導をしています。その姿勢は素晴らしいと思います。しかし、愛情を持ち、子どもに良かれと思っているからこそ、怒鳴るような指導は、子ども達にやっかいな影響を与えかねません。子ども達が大人になって、自分の子どもを育てるときに、あふれるような愛情があり、子どもを怒鳴ってしつけてしまう・・・、怒鳴るような指導は、そういう方向に、ごくわずかではあっても、子どもを近づけてしまいます。

 今は中学生の子どもも、いつかは大人になり、こどもを持つ親になることでしょう。大きな声で怒鳴って指導された子どもは、自分が大人になったときには、大声で怒鳴るような関わりを、未来の子ども達にしてしまうかもしれません。

 私達は目の前いる次の世代の子ども達を育てているのですが、同時に次の次の世代の子ども達も育てているのです。

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2010年6月 7日 (月)

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先日、スクールカウンセリング関係のある研修会に出てきました。

その研修会の講師が、参加者にどんな人が多いのかを知ろうとして、参加者の属性・職業などについて挙手を求めました。研修会では割と良くあるシーンです。例えば、「スクールカウンセラーの方はどのぐらいいらっしゃいますか?挙手をお願いします。・・・・。学校の先生はどのぐらいいらっしゃるでしょうか?・・・・」というような感じです。

さて、その研修会の講師は、「スクールカウンセラーの方は、どれぐらいいしゃっしゃいますか?」と挙手を求めて、「ああ、なるほど、分かりました。」と言った後にすぐ「それでは、○○のかたはどれぐらい・・・・」と次に移ってしまいました。

ここで、少し残念な気持ちを感じました。単純に言えば「私も知りたい」ということです。研修会の会場は割と混んでいて、後ろを振り返ると、すぐ後ろに座っている人と、顔を合わせるようになってしまうので、後ろを振り返るのをやめました。


講師にとって、研修会の参加者がどんな人が多いのかは、非常に重要です。参加者にとっては、あまり重要ではありません。しかし、講師が挙手した人をその場で数えながら、「1,2,3,・・・・ざっと、15人ですかね」等と言ってくれれば、その雰囲気が分かります。そうすると、そのことが、会場に共有される感じが生じるように思います。

自分が講師をしなくてはならないこともあるので、気をつけようと思いました。

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