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2010年4月

2010年4月30日 (金)

NHK特報首都圏「“ひとり”が怖い」

NHKの特報首都圏「“ひとり”が怖い」(4月23日(金)19:30)という番組を見ました。

ひとりでは学食に入れないという若者が増えている。なかにはトイレで食事をすませる学生もいる。背景には、周囲から友だちがいないさびしい人間だと思われたくない心理が働いている。専門家は、携帯メールで24時間常に維持される友人関係が、自己肯定感の大部分を占めるようになったと分析。大学では、友だち以外の分野で自分の居場所を持てるように、さまざまな取り組みを始めている。“ひとり”が怖いという若者の姿を伝える。

「カウンセラーズカフェ」というサービスを学生相談室が提供していて、昼食を学生相談室のカウンセラーと一緒に取れるようにしていました。中学校のスクールカウンセラーとして仕事をしていて、10年ぐらい前は「自由来室活動」という活動に力を入れていたことを思い出しました。
昼休みとか休み時間に、相談室を開放して、誰でも相談ではなく遊びに来てかまわない、という場面を設定していました。たくさんの中学生がやってきて、一緒におしゃべりをしたり、くつろいだりするという感じで、活動していました。もちろん、カウンセリングや相談も大切ですが、それ以前に、人と人がごく自然に関わるおしゃべりの体験が大切だと感じていました。最近では、スクールカウンセラーの学校での勤務時間が限られてしまって、そういう活動に時間を割くことができなくなってしまいました。良いとか悪いとか言うことではなくて、大学生になっても、そういうニーズがあるということですね。

NPOで大学生を支援している人が出てきてしゃべっていましたが、大学のことを「学校」と言っていたのが、印象的でした。私には、大学は「学校」ではありませんでした。私にとって「学校」という言葉は、小学校、中学校、あるいは「自動車学校」のように、何かを教えてもらう場所です。「大学」は、教えてもらう場ではなく、自分で学ぶ場なので、「学校」ではないような感覚です。今の大学生たちにとっては、大学は『おしえてもらう場』なんだなぁと、しみじみ感じました。

また、友達との携帯電話のメールの返信は、できる限り早くしないといけないという話が出ていました。一般に、コミュニケーションの中では、言語的な側面だけではなく、非言語的な側面が重要です。特に、人と人がコミュニケーションをする際の満足度や手応えは、非言語的なコミュニケーションからもたらされるように思います。しかし、携帯メールのやり取りでは、非言語的なコミュニケーションは、非常に限られています。メールの中に、絵文字などを使ったりもしますが、限界は多いですし、絵文字は何度も使っているうちにただの文字と同じ程度の意味合いになってしまうでしょう。そうすると、携帯メールのやり取りで残っている非言語的な要素は、反応の早さです。携帯メールでしっかりと人と関わっている感じを相互に大切にするのならば、反応を早くするしかないのでしょう。

全体的な印象ですが、やっぱり、人と人は、面と向かっておしゃべりをするような体験が日々の中で非常に大切だと言うことを再確認しました。

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2010年4月21日 (水)

保護者対応

「保護者対応」という言葉が嫌いです。

たとえば、読売新聞の教育ルネサンスのシリーズ「親と向き合う2」第二回『「複数担任」で負担軽減』
という記事にも出てきます。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100417-OYT8T00205.htm

担任が黒板にチョークを走らせていると、後ろから話し声が聞こえてきた。横から目を配る副担任が、「話を聴きましょう」と注意する。群馬県太田市立宝泉中学校では昨年度から、1年の全クラスで複数担任制を試みている。

 背景には、中学校に入学して学校生活になじめない「中1ギャップ」がある。保護者対応にも手間がかかり、現場の仕事は複雑化している。

私も、義務教育段階にある子どもたちの保護者の一人です。その立場から考えてみると、学校が「対応」だと思って私とかかわってくるとしたら、なんだか、がっかりというか悲しい気分ですね。保護者とのかかわりを「対応」だと思ってしまう学校の姿勢そのものが、保護者とのかかわりをややこしくしているような気がします。

保護者とのかかわりは、連携や協力のはずです。お互いに一緒に子どもの成長を支えていく、仲間なのです。

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2010年4月20日 (火)

児童虐待関連の記事へのリンクを左下サイドバーに

最近、子ども虐待の事件が非常に多いような気がします。
多くの人に関心を持っていただきたいと思い、左下サイドバーにリンクを作成しました。

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早期教育効果 小学生で消える

色々なブログで取り上げられていますが、「早期教育効果 小学生で消える」という記事がAERAに掲載されているようです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100426-00000001-aera-soci

部分的にクリップしておきます。

■所得よりも養育態度

(中略)
文部科学省は全国学力テストの結果を分析し、親の所得が高いほど子どもの学力が高いという調査を発表していた。親の年収が1200万円以上では国語、算数の正答率が全体の平均より8~10ポイント高く、200万円未満では逆に10ポイント以上低かった。
 だが、内田教授の調査では、子どもの学力格差は親の所得格差ではなく、親子のかかわり方が大きく影響していた。たしかに「読み・書き」能力だけみれば、3歳では親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、その差は子どもの年齢が上がるにつれて縮まり、小学校入学前に消滅した。文字などの早期教育の効果はわずか、数年しか続かないのだ。
 すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得している子と、習得していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月には両者の差は消えてしまうということを指摘してきた。また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかった子どもとの差は小学校2年生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多かったということもわかっている(黒田実郎、「保育研究」)。

■想像力豊かな子は…

 一方、幼児の語彙力については、親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、詳細な分析をした結果、語彙の成績を左右するのは所得や教育投資額ではなく、親の養育態度であるとわかった。
 内田教授は、こう話す。
「語彙力というのは自律的思考力を支えるものです。所得が低い家庭であっても、子どもとのふれあいを大事にして、楽しい経験を共有するような『共有型』の養育スタイルの家庭の子どもの語彙得点は高いのですが、所得が高くても大人の思いを押しつけ、トップダウンで禁止や命令、体罰などを多用する場合は子どもの語彙の成績は低いのです。他の子どもとの比較や勝ち負けの言葉を多用するとか、子ども中心で親が犠牲となる教育も、学力基盤を育むのに効果はありません」
 つまり親の「人間力」こそ、子どもの語彙力の発達には重要だということだ。しかも、この語彙力こそ学童期以降の子どもの学力と関連があると話す。
 また内田教授が文字を習得している幼児と習得していない幼児に、それぞれ空想でお話をつくってもらったところ、文字を習得していない子どもの方が想像力豊かな内容だったという。こうした研究を通じて、過熱する一方の早期教育に警鐘を鳴らしてきた内田教授は、こう話す。
「幼児期には五感を使って親子で体験を共有することが大切です。親子のコミュニケーションや会話のやりとりを通じて、子ども自身が考えて判断し、親子の絆が深まっていく中で子どもの語彙力は豊かになる。お金をかけなくても子どもは伸びるのです」
(後略)

個人的な意見ですが、ものごとを考えることが楽しいという体験やものごとを考える習慣が大切だと思うのです。毎日の生活の中で、知的な活動を楽しむ習慣があれば、いわゆる勉強や学習をしている時間をはるかにしのぐ時間を知的な活動に充てていることになります。それこそが、知的な能力を伸ばすのではないかと思います。

たとえば、食事の時におかずの材料・調味料を当てさせるとか、料理の途中で味見をさせ、さらにどういう味付けをするのかを考えてもらうとか、誰かから贈り物をもらったら、開封する前に中身を想像してみるとか、予測したり、想像したり、考えたりすることを生活の中で楽しむことが大切なような気がします。

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2010年4月 8日 (木)

災害後のこころのケアハンドブック

ハンドブック
静岡大学の小林朋子さんから「学校現場・養護教諭のための災害後のこころのケアハンドブック」をいただきました。
コンパクトにまとまっていますし、分かりやすいです。イラストも、親しみやすくていい感じです。

こういうツールを手元に持っておくことは大切だと思います。

素晴らしい仕事をなさった小林さんに感謝です。

小林朋子さんのブログ記事はこちらから
http://kobaken-shizuoka.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-2cd9.html

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2010年4月 4日 (日)

説明しなくてはそれが分からんというのは、どれだけ説明しても分からんということだ

「1Q84」を読んでいてできた言葉です。主人公の1人の天吾の父親が、天吾に向かっていった言葉です。

「説明しなくてはそれが分からんというのは、どれだけ説明しても分からんということだ」

結局、「分かる」ということって、こういうことだと思います。本当に思いもつかなかったことを理解することはないように思います。薄々分かっていたことが、「やっぱりそうか!」とわかる。「はっきりとは分かってはいなかったこと」が、「はっきりと分かる」のが「分かる」ということだと思います。

何かが分かったと感じたときに、その分かったと感じた内容は、既に分かっていたことだったことが良くあります。既に分かっていたことが分かるということは、つまらない感じや、意味のない感じではなく、確かな感じやしっかりした感じを伴っているような気がします。
既に分かっているけれども、はっきりとは分かっていないことが、少しずつはっきりと分かっていくことは、心身が快適な感じになるような体験です。

知的な豊かさというのは、はっきりと分かったことをたくさん持っているだけではなく、まだはっきりとは分かってはいないけれども、分かっていることをたくさん持っていることも大切かもしれません。

はっきりと分かっていることを多くしようとするだけでは、そのうちに、その源泉が枯れてきてしまいます。はっきりとは分からないけれども分かっていることを増やすことが大切なんでしょう。

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2010年4月 2日 (金)

あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑 臨床心理士

4月2日にNHK教育テレビ「あしたをつかめ 平成若者仕事図鑑」で

「NO.235臨床心理士」 が放送されました。
http://www.nhk.or.jp/shigoto/zukan/235/top.html

NO.235臨床心理士  東京・銀座の大通りから、一本入ったところにある相談室。臨床心理士4年目の斎藤愛さん(30歳)は、ここでは一番の若手です。  臨床心理士は、悩みをとことん聴いて、話してもらうことが基本。来談者たちは悩みを自分の言葉で話すことで、初めて自分の悩みに気づき、心の中を整理できるのだそうです。  しかし悩みを話してもらうことは、容易ではありません。斎藤さんは相手を緊張させないため、座り方や相づちにも気を配り、信頼関係をつくっていきます。またその人のことを無条件で受け入れ、ねぎらいの言葉をかけることを大切にしています。  悩みを抱えた人と、どう向き合うのか?斎藤さんのカウンセリングの現場を紹介します。

再放送は、4月6日(金)夜11:30から11:55です。

お知らせでした。

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