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2010年3月

2010年3月12日 (金)

江戸川区の児童虐待死亡事件についての検証報告

しつこいようですが、江戸川区の児童虐待死亡事件についての検証報告について、書きたいと思います。

「1 子どもの命を守ることを最優先とした安全確認」という項目には、

児童本人が被虐待を訴えている場合は、センター職員が、児童に直接話を聞き、状況把握を行う。ハイリスク家庭と認識した場合には、家庭訪問を行い、児童の状況を目視により安全確認し、いざというときは、躊躇することなく、児童相談所や警察と協力して迅速な対応を行う。

とあります。一応きちんとしたことが書かれているようですが、実際上、ほとんど、意味をなさない文章です。
 例えば、「危険な場合には、安全を確保する。」という文章があったとします。これは、ごく当たり前のことで、言うまでもないことなのです。言い換えれば「安全でない場合には、安全を確保する」ということで、ごく当たり前のことだと言えます。
 検証報告書に戻ります。「ハイリスク家庭」ということは、子どもが安全ではないと言うことです。つまり、上に引用した文章は「子どもが安全ではない場合には、安全を確認して、安全を確保する。」ということです。ごく常識として誰にでも既に分かっていることです。他にも、例えば「状況の変化に応じて、見直しを行い、支援方針を決定する。」などと、一見、重要な指摘をしているようでいて、少し考えるとごく当たり前すぎるため、大した意味を持たない文章が散見されます。状況が変化すれば、見直しをして、方針を変更・決定するのは、どんな場合でもごく常識的に行われていることです。
 大切なことは、「子どもが安全ではない場合には、安全を確認して、安全を確保する。」といったごく常識的なことが、なぜ、この事例において、実行されなかったのかということです。まず、その点について具体的な事実関係を明らかにすることが必要です。さらに、その具体的な事実関係に基づいて、具体的な提言を行うことです。せっかく検証作業を行っているのですから、ぜひ実効性のある提言を行っていただきたいと思います。

なお、厚生労働省のホームページには、

「児童虐待防止対策・DV防止対策」
 →「児童虐待防止対策」
   →「法令・指針類」
     →「地方公共団体における児童虐待による死亡事例等の検証について
として、検証報告書について検討されおります。その指摘の概要は以下のとおりです。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/07/dl/h0714-1c.pdfより引用。)

個別ヒアリング調査の結果~検証に関するもの~
ヒアリングを実施した結果、一部に次のような事例がみられた。

1.検証に関する基本的な考え方
 ○ 亡くなった子どもの視点に立って行うという基本的な考
   え方が報告書等に活かされていない。
2.検証委員会の運営
 ○ 検証の進行が事務局主導となっている。
3.委員構成
 ○ 的確な検証を行うための委員構成となっていない。
4.検証の対象
 ○ 都道府県又は市町村が関与していた虐待による死亡事
   例であっても検証が行われていない。
   (心中以外の事例の実施数29例(39.7%))
5.検証の実施
 ○ 事例と個々の職員の関わりが十分見えてこない。
 ○ 必要な情報がないまま検証が行われている。
6.報告書及び提言
 ○ 事実の把握、発生原因の分析等が不十分であり、
   再発防止のための提言について、
   具体的な対策の提言となっていない。
7.公表
 ○ プライバシーの保護に配慮するあまり、事例について、
   その内容、問題点、課題等が議論されたのか報告書の
   記載からは不明な状態となっている。
8.報告書の作成までの期間
 ○ 時間的な制約の中で不十分な検証結果に終わっている。

また、「地方公共団体における児童虐待による死亡事例等の検証について(雇児総発第0314002号平成20年3月14日)」という通知が出されていて、によってどのように検証が行われるべきか書かれています。それによると、

2 実施主体
都道府県(指定都市・児童相談所設置市を含む。以下同じ。)が実施することとし、検証の対象となった事例に関係する市町村は当該検証作業に参加・協力するものとする。なお、児童相談所、市町村(要保護児童対策地域協議会)その他の機関が独自に検証を行うことも望ましい。

ということです。
また
9 児童相談所又は市町村等による検証
(1)検証の対象となった事例に直接関係する児童相談所や市町村等は、当該検証作業に参加、協力するものとするが、児童相談所、市町村(要保護児童対策地域協議会)その他の関係機関がそれぞれの再発防止策を検討する観点から独自に検証を実施することも重要である。
(2)児童相談所や市町村等が実施する検証は、事例に直接関係していた当事者間による内部検証であり、事例を通じて自己点検を行い、機関内における再発防止策を検討したり、都道府県の検証結果を受けて具体的に実施すべき改善策を検討したりするものであることから、第三者による外部検証を念頭に置いた検証とは性質を異にするものであるが、7の検証方法等については、その趣旨に沿って、検証が実施されるのが望ましい。

となっています。
つまり、区が検証するのは、自主的に行うものであって、望ましいということです。検証方法については、内部での検証であって、第三者による外部検証を念頭に置いた都道府県による検証とは違うと言うことです。 従って、検証することそのものは良いことだと言えますが、都道府県が行う検証と同じ程度の検証を期待することは難しいかもしれません。一方、事件から学び、今後に活かすためには、実行可能な具体的な方法論にしていかなければならないと思います。区の検証報告書を一つの入り口にして、具体的でより良い方法を考えていかなくてはならないと思います。

 スクールカウンセラーとして、仕事をしておりますので、検証報告書に書かれている学校の対策について、指摘しておきます。
 学校の対策については3点指摘されています。

1 「子どもの命は自分が守るんだ」という使命感をもち、子どもや保護者の理解を深める
子どもや保護者ときめ細やかに対応し、一人ひとりの理解を深める。「児童虐待」の正しい理解と対応方法についての共通認識を図るため、区主催の研修、管理職が自ら先頭にたった校内研修会を開催し、「児童虐待」の早期発見・早期対応に全力を尽くす。
2 校内体制の再構築を図る
「生活指導連絡会」や「朝の打ち合わせ」など、情報の共有化を行えるよう
組織的な校内体制の再構築を図る。担任一人で抱え込まず、養護教諭・スクールカウンセラー・学校医と連携し
た有効な相談体制をつくり、専門家の目でも見るようにする。学級の子どもだけではなく、学校全体の子どもの名前を知り、朝の挨拶や廊下ですれ違った時などに「○○さん・・・」と声をかけるようにしていく。
3 多くの目で子どもを見るためのネットワークを深める
学校が中核となり、PTA・学校評議員、民生・児童委員、学校医等の地域ネットワークを活用し、子どもの見守り体制、支援体制を強化する。学校が日ごろから、子どもに関する情報を、地域のネットワークに発信し、相互の信頼関係を深め、協力・連携体制を強化する。「聞いていない」という関係機関がないよう、学校だけで抱え込まず、情報提供を行う。その際、重要なリスク要因は何か確認し、見逃されることのないよう共通認識をもたなければならない。親が虐待を自覚しているか、繰り返さない決意を確認できているかは重要であるが、再発や重篤化のリスク評価に直接結びつくものではなく、むしろ自己弁護のために口にすることが多いことを肝に銘じて、リスクアセスメントは事実に基づき行われるよう徹底していく。

「『児童虐待』の早期発見・早期対応に全力を尽くす。」という表現は問題だと思います。表現としては、最大限の表現ですが、本当に、学校が児童虐待の対応に全力を尽くすのでしょうか? 学校は、虐待防止・対応のための機関ではないので、全力を尽くすのは、合理的ではありません。きちんとそれぞれの機関がそれぞれの役割を認識して、役割分担を行い、連携すべきです。「全力を尽くす」ことよりも、具体的な役割分担と連携を行うべきです。

学校にできることは、たくさんありますが、2つだけ指摘しておきます。
一つ目は、虐待を発見することです。そして虐待の疑いに気づいた場合には、速やかに関係機関と連携をとるべきです。二つ目は、子どもが助けを必要とするときに学校に助けを求められるように、子どもと信頼関係を構築することです。学校の教職員は、子どもにとっては家族以外の身近な大人です。家族以外の身近な大人は、学校の先生だけという子どももいることでしょう。つまり、子どもが助けを必要としているきには、学校こそ、それに応えられる可能性が高いのです。児童相談所や家庭児童支援センターなどの機関にはなかなかできないことです。学校は、そういう大きな可能性を持っています。
 しかし、この検証報告書には、この二つ目の視点からの指摘が全くありません。これは本当に悲しいことです。前の記事に書いたように、消しゴムを学校に取りに来たときには、学校に助けを求めていたのかもしれません。学校では、目の前に子どもがいるのです。連携する前に、目の前の子どもにきちんと関わり、「助けが必要なときには、学校に助けを求めるんだよ」と全ての子どもに伝えてほしいと思います。「いざとなれば学校に助けを求めればいいんだ」と、子どもたちが思ってくれるとしたら、それだけで、どれほど、心の支えになることでしょうか。

 虐待などのリスクを学校が感じたときには、きちんと子どもに関わり、子どもとしっかりとした信頼関係を築くことが必要です。その上で、助けを求めるための具体的方法について子どもと話し合うことが必要です。学校に助けを求めて構わないことを強調するべきですし、実際に電話をかけさせたり、その場で、即興のロールプレイをやって、学校に電話をする練習をしても良いかもしれません。宿題で提出するノートに、「『相談があります』と書いてね」とか、「先生に、相談したいときには、宿題のノートの右隅に星印をかいてね」とか、いろいろと具体的に子どもにも実行可能な方法を分かりやすく伝える必要があると思います。ただ単に、相談してほしいと言うだけではなくて、具体的な相談方法を細かく伝えることが必要です。
 また、他の方法も具体的に教えるべきです。リスクが高い場合には、テレフォンカードや小銭と一緒に児童相談所などのホットラインや学校の番号のメモをビニール袋に入れて、家の外で人に見つかりにくい場所に隠しておくように勧めることも必要かもしれません。また、交番などに助けを求めても良い事を、さりげなく、あるいは、強調して伝えておいても良いと思います。たとえば「駅にコンビニがあるでしょ、あの隣に交番があるの知ってる? あの交番のお巡りさんは、○○さんっていって、優しいお巡りさんなんだよ。交番のお巡りさんは、犯人を捕まえるだけじゃなくて、困ったことがあったりしたときに、相談にのったり、この小学校の近くの人たちの安全を守るのが仕事なんだよ。だから、困ったことは何でも相談に行って良いんだって。お巡りさんは、いろんなことを知ってて、きちんと、どんな風にしたらいいか教えてくれるからね。」などという感じでしょうか。
 また、家で大変なことがおきたときには、学校へ逃げてくるように教えるべきです。学校が開いてないときは、具体的な場所を指定して(子ども110番の家になっているコンビニとか)、そこから学校や担任に連絡してもらうように教えるべきでしょう。さらに、逃げることは悪いことではなく、むしろ非常に素晴らしい行動であること、逃げることによって、家族を守り自分も守るとができること、を伝えることも大切でしょう。

 こういったことは、子どもが、家族からの虐待を否定しても、きちんと伝えておくことが必要だと思います。私は原則的にそうしています。
 「○○君は、さっき、お家では大変なことはおきていないって言ってたよね。ちょっと、安心・・? でも、まだ、そう聞いても、先生は実は心配してます。心配のしすぎかな? どうだろう・・・。でも、誰でもそうだけど、お家で大変なことがおきたり、苦しいことがおきたりすることはね、あるんだよね。誰にでも、そういうことがあるかもしれないねぇ・・・。そんな時は、どうしたらいい? ・・・・。そうそう。先生もそうだけど、困ったときには、いつでもそう、誰かに助けてもらうのがいいんだよね。人は、いつでも誰でも、助け合って生きてるからね。大人でも子どもでも、先生も助け合って生きてるんだよ。助けを求めることは、とっても大切なことなんだ。お家で困ったときには、学校とか先生に助けを求めるんだよ。もちろん、お家じゃなくても、あなたが困ったとき、苦しいとき、助けてほしいときには学校とか先生に助けを求めるんだよ。」などと、話します。

 念のために書いておきますが、子どもが学校に助けを求めて来たとしたら、それは有り難いことです。しかし、学校だけで子どもを助けることはできません。学校以外の機関や人々の力を借りつつ、子どもを助けることが大切です。

 文部科学省が「児童虐待防止と学校」という研修教材を作成してホームページで公開しています。それは、こちらから。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1280054.htm

スクールカウンセラー配置について(神奈川)

 一つ前の記事でで神奈川県の平成22年度のスクールカウンセラーの配置についてのニュースを紹介しました。「私も、学校に、週2回勤務したい!」というのが、素朴な感想です。私の今年度の勤務の場合、最大でも週あたり4時間という勤務なので、週2回×7時間という勤務は、私の勤務の3.5倍です。それだけの時間、学校で活動できると、もっと色々な活動を行うことができると思います。神奈川県は、「効果を検証して今後につなげていきたい」ということなので、今後の状況について要チェックだと思います。

 一応、神奈川県の予算を当たってみました。以下のとおりです。新聞記事では「スクールカウンセラー勤務増へ」となっていて、単純に「増えるんだ!」という印象ですが、予算は、55,781,000円(約5580万円)も減少しています。中学校への配置校の数が減っていて、高校は全校配置で、「拠点」と書かれています。こういった配置校数の兼ね合いが、予算にどう反映されているか、よく分かりません。まあ、取りあえず、ニュースから分かることは、表面的であって、中身は、かなり色々な事情があるということでしょう。

平成22年度
「スクールカウンセラー配置・活用事業」  306,812,000円

 生徒の心の問題に対応するため、スクールカウンセラーを中学校180校(政令市を除く、3学級以上の全校)、県立中等教育学校2校及び県立高校拠点校54校(前年度比6校増。全校へ対応)に、スクールカウンセラーへの助言・指導を行うスーパーバイザーを教育局に配置するほか、重点的な配置を行うなどの工夫により、教育相談体制の充実を図る。
「スクールソーシャルワーカー活用事業費」  7,000,000円
 社会福祉等の専門的な知識・技術を用いて、児童・生徒の置かれた様々な環境に働きかけて支援を行うスクールソーシャルワーカーを全教育事務所に配置する。また、スーパーバイザーを教育局に配置し、スクールソーシャルワーカーへの助言・指導を行うほか、横須賀市及び県立学校からの相談に応じる。

平成21年度
「スクールカウンセラー配置・活用事業」  362,593,000円

生徒の心の問題に対応するため、スクールカウンセラーを中学校217校、県立中等教育学校2校及び県立高校48校(20年度45校)に配置する。
「(新)スクールソーシャルワーカー活用事業」  7,875,000円
社会福祉等の専門的な知識・技術を用いて、児童・生徒の置かれた様々な環境に働きかけて支援を行うスクールソーシャルワーカーを全教育事務所に配置する。

平成20年度
「(拡)スクールカウンセラー配置・活用事業」  367,290,000,円

生徒の心の問題に対応するため、スクールカウンセラーを中学校219校及び県立高校45校(19年度40校)に配置する。


2010年3月11日 (木)

スクールカウンセラー勤務増へ=神奈川

ニュースをクリップしておきます。

http://book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20100311-1

 神奈川県教育委員会は、すべての公立中学校に配置しているスクールカウンセラーについて、4月から一部の学校で勤務日数を増やす。同教委は併せて、カウンセラー配置による効果を高めるため、「スクールカウンセラー業務ガイドライン」を策定した。
 スクールカウンセラーは、県が雇用する臨床心理士らで、政令市2市を除く県内公立中学約220校で1人ずつ、週1回1日7時間勤務している。4月からは市町村の希望を参考に22校を重点配置校に定め、カウンセラーの勤務日を週2日に変更する。
 同県は、2008年度の公立中学校の不登校者数が7992人と全国で最も多く、暴力行為の発生件数も全国最多。
 県教委は「厳しい財政状況で、一度に全校の勤務日を増やすのは難しいが、効果を検証して今後につなげていきたい」と話している。
 スクールカウンセラーはこれまで、不登校への対応が主な仕事だったが、中学校を中心に暴力行為が増加傾向にあるため、「カウンセラーには一歩踏み込んだ対応が求められる」(県教委)と判断、策定した業務ガイドラインには「暴力行為への対応」も明記した。(了)

2010年3月 3日 (水)

虐待による子どもの死亡事件、江戸川区が事件報告書

 江戸川区で小学校1年生が両親から暴力を受けて死亡した事件がありました。江戸川区では、区の子ども家庭支援センターや学校が虐待の事実を認識していましたが、適切な対応ができなかったという経緯があるようです。
 その死亡事件への対応について江戸川区は検証委員会を持ち、報告書を作成したようです。報告書は、江戸川区のホームページろからダウンロードできます。

 報告書は、目を通しましたが、あまりしっかりした報告書だとは言えないように思いました。

1)検証委員会に外部の専門家が入っていない
  外国に出かけて日本の文化を再発見・再確認することが良く知られています。つまり、ごく当然と思っていることは、離れたところから眺めてみなければ、気づかないことが多いものです。外部の人材が活用されていない点は、非常に残念だと思います。江戸川区が真剣に検証しようと考えるのであれば、当然、外部の専門家を活用すべきだったと思われます。
  
2)検証委員会がどういう日程で行われたか明記されていない
  各部署で作成した文書を寄せ集めて、体裁を整えるだけでも、こういった報告書を作成することはできます。検証委員会が、きちんと機能するためには、会合を重ねて、その場で、きちんと話し合っていくことが必要でしょう。そういったプロセスを経て報告書が作成されたかどうか不明です。

3)検証が表面的であったり、対応策が具体的ではない
  問題点や課題として「受け止めの甘さ」「安全確認を学校からの情報提供(児童登校)で済ませてしまった」「状況把握の甘さ」などということがあげられています。それは、新聞報道などでも既に指摘されていることで、わざわざ検証委員会を開いて検証するほどのことでもありません。
 「受け止めの甘さ」がなぜ生じたのか、専門性が足りなかったのか、職員が多忙なためじっくり取り組むことができなかったのかなどと、受け止めの甘さの背景をきちんと考察すべきでしょう。専門性が足りないということであれば、他区のセンターでは、どんな研修がどの程度行われているかということも参考にしつつ、江戸川区の研修体制を検証しなくてはならないでしょう。研修だけではなく、職員採用の問題・人事の問題についても、検証しなくてならないと思います。職員の多忙が背景にあるとしたら、やはり同様に、他区と比較して検証すべきです。

 
 私はスクールカウンセラーをしていますので、学校の対応に注目してしまいます。歯科医がセンターに通告して、センターから学校に虐待の疑いで連絡が来ています。父親も学校に対して子どもへの暴力を認めています。また、父親からは、学校に対して苦情があります。さらに、子どもが外傷により入院、退院後にも学校への欠席が続くという状況です。こういった状況では、証拠はなくても、虐待を強く疑い、関係機関と速やかな連携をとるべきだと思われます。
 江戸川区では全ての区立小学校にスクールカウンセラーが配置されているようですが、この虐待死亡事件では、スクールカウンセラーが関わってはいないようです。もちろん、子ども本人と面接をして、スクールカウンセラーが子どもから話を聴いても良かったと思います。しかし、それ以前に、担任と連携して、子どもや家庭の状況について、担任からスクールカウンセラーが話を聞き、専門的な視点からリスクのアセスメントを行うべきだったでしょう。また、学校内で、きちんと支援会議をもち、情報を共有して、状況判断や対応の検討を行うべきだったと思います。その場にスクールカウンセラーが参加していれば、専門的な視点から、情報提供などを行うことができたはずです。例えば、9月に学校が家庭訪問した際には、父親が暴力を認めています。その時の、父親の言い分としては、「もう二度と殴らない」という約束をしたようです。一般に、「~しない」という約束や指示は、「~」をしないで、何をするのかを明確にしていないので、非常に実行が難しいといわれています。「たばこを吸わない」ではなく、「たばこを吸う代わりに、お茶を飲む」というほうが実行に近づくわけです。つまり、父親の約束は、実行できない可能性が高く、この家庭訪問では、虐待の危険性は減少したとは言えないのです。そういう視点や情報を、スクールカウンセラーは、直接的に子どもや家族に関わらなくても、学校に提供できると考えられます。それこそが、スクールカウンセラーが学校にいる大きな意義だと私は考えています。

 私は、今回の件で、現場のひとりひとりの実践家を責めるつもりは全くありません。私も、その場にいたら、同じような事態に巻き込まれている可能性が高いと思います。現場の実践家は、直面する問題に否応なく巻き込まれていて、必死で対応しているものです。現場の実践家の持つ力を活かしていくには、仕組みやシステムが必要だと思います。
 個人個人の責任ではなく、気になる子どものことについて担任がスクールカウンセラーと話すという仕組み、気になる子どもについての情報を共有する仕組み、学校で直面している課題についてスクールカウンセラーが関与する仕組み、そういった仕組みができない限り、個人個人の努力では、気づかないこと、分からないこと、抜け落ちることがあって、充分に支援を継続することができません。

 余談ですが、「12月7日 自宅で宿題をしようと思ったら、消しゴムがなく学校に取りに行く。しかし、教室に消しゴムはなく困っていたところ、担任が自宅に一緒に行き、保護者に説明をする。」と報告書にあります。なぜ、宿題をしようとしたら、消しゴムがなくて、それを学校に取りに行かなくてはならないのでしょうか? ごく普通の状況では、なかなか説明がつかないように思います。消しゴムがなくても、宿題は何とかできるかもしれないし、消しゴムは家の中のどこかに転がっているかもしれません。また、「困っていた」と書いてありますが、わざわざそう書かれるほど、本人は非常に困っていたのかもしれません。消しゴムがないだけで、非常に困ってしまうということは、あまり考えにくいものです。もしかしたら、消しゴムがないことで、親から強く叱られるとか、ほんとうは、消しゴムがないことに困っているのではなくて、もっと深刻な事態に直面していて困っているとか、そういう想像をしてしまいます。そう考えると、学校に来たこと自体、もう少し違う理由もあるような気がします。家にいたくないとか、先生に困っていることを話したいと思ったとか、本人のそういう心の動きがあったかもしれません。

 スクールカウンセラーとしては、こういう場面は、関わりの手がかりではないかと思います。その時・その場面では、前述のようなことに明確には気づきにくく、介入するチャンスを逃してしまいがちです。でも、消しゴムを探しに来たエピソードを担任の先生がスクールカウンセラーに話してくれて、一緒にその場面を思い出すようなことができれば、子どもの心の動きを色々な視点から想像してみることができると思います。そうしたら、次の日でも、一週間後でも、「消しゴムがなくて困ってたけど、それは、解決したの? あのとき、せっかくだからもう少しおしゃべりできたら良かったかもね。消しゴムだけじゃなくて、困ったこととか、嬉しいこととか、先生に、いつでも教えるようにしてね。」などという働きかけはできるはずです。こういう働きかけはごく普通に「いつでもなんでも先生に話してね」と、子どもに話をすることと違います。消しゴムを探して、困っていたときのことを子どもが先生と一緒に想起し、「その気持ちを理解してそれを何とか支えようとしたいんだ」と先生から伝えてくれるわけです。そういう先生の存在を感じることができたら、子どもには大きな力になると思います。

 また、報告書には「『君のお父さんは本当のお父さんではない』と子どもが言われた(時期不明)と訴え。副校長は話していないと主張し水かけ論になる。」とあります。父親は、父親なりの傷つきを抱えていたのかもしれません。実父ではないということから、子どもとの間に、ぎくしゃくした感じを抱えたり、そのことで、さらに傷ついたり、父親なりに苦労していたことが想像されます。さらに、新聞報道によれば、「近所の住民が「お父さんにいじめられてないか」と声をかけた。海渡君は「いじめられてないよ。悪いことをしたら怒られるけど」と答え、健二容疑者をかばったという。」とのことです。子どもはいつでも、親を守ろうとします。
 やはり、父親も、支えられなくてはならなかったのです。結果的にそれが子どもを救うのです。

「暴力を受けている人(あなた)はもちろん助けなくてはならないよ。でも、暴力をふるってしまう人(お父さん)も、助けを求めているんだよ。その人も助けなくてはならない。みんなを助けなくてはならないよ。そうしないと、家族がみんなで幸せにいることが難しいでしょう。だから、みんがが助けてもらえて、みんなが幸せになれるように、一緒に考えよう。子ども(あなた)には、そのことをスタートさせる力があるんだよ。お父さんを助けるためにも、力を貸してね。」

こんなふうに、子どもには話さなくてはならなかったでしょう。

 父親を悪者にして、自分を助けてもらうということは、子どもにはなかなかできません。父親を悪者にした罪悪感を背負わせてしまうことにもなります。それを子どもに求めるのは、本当に酷なことです。
 「みんなを助けて、あなたも助けよう。そのために、あなたと私は、協力しよう。」そういうスタンスが必要でしょう。

 そういう姿勢で本気で子どもの虐待の解決を目指しているアプローチがあります。サインズオブセイフティアプローチと呼ばれ、日本の多くの児童相談所で、実践されています。

サインズオブセイフティアプローチについてのお薦めの本です。



追記
江戸川区の報告書について
「消しゴムをなくしてしまって教室に取りに来て見つからず困った児童を見て、担任が家庭訪問を一緒にしたり、プリントを届けたりと、児童の状況を担任は把握しているが、管理職への報告までで留めてしまった。」
とあります。担任は、子どもに対して手厚い関わりをしており、それを管理職に報告したようですが、「管理職への報告まででとどめてしまった」と指摘しているのは、奇妙です。管理職に報告したうえに、何かをするべきだったという含みがあります。しかし、含みがあるだけで、何をすべきだったかについては、明確に書かれていません。
 本来は、何かをすべきだったのは、担任ではなくて、管理職ではないかと思われます。担任は管理職まで報告をしたのですから、それを受けて、担任がさらなる動きをしなくてはならないと管理職が感じれば、そういう指示を管理職が出さなくてはならないでしょう。それがなかったのですから、担任が何かをしなくてはならなかったとは言えません。担任からの報告を受けて、管理職は、担任の動き以外になにか動く必要があるかどうかを考えなくてはなりません。それは、管理職のするべきことで、担任に求めることではないと思います。
 
 担任という現場の第一線で実践を重ねている個人に責任があることを匂わせるような文章の書き方が気になります。意図的にそうしているのか、無意識的な認識がにじみ出したのか、私には、判断できませんが、まあ、どちらにしても、良い書き方とは言えないように思います。
 繰り返しになりますが、個人に責任を負わせても、全く解決になりません。個人は困難な事態に直面すると、誰でもミスをしたり、見逃したり、失敗したりするものです。それを防ぎより良い形で実践をつないでいくためには、仕組みやシステムが必要です。現場の実践家が協力して一緒に力を合わせられるような仕組みをどのように作っていくかを考えなくてはならないと思います。


ところで、高知県では、平成20年2月3日に小学校5年生が虐待により死亡した事件の検証報告書を出しています。40ページを超える非常に詳細な検討がなされた報告書です。
それは、こちらからどうぞ
http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/310801/gyakutaisiryou.html
中程に報告書へのリンクがあります。

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