技法
EMDR、SFA、認知行動療法、フォーカシング・・・・いろんな理論があり、技法があります。「技法」が「技法」として成り立つためには、明確な考え方や決まった手続きを必要としています。漠然とした、態度や姿勢では、「技法」とは呼べません。つまり「技法」は「形」を持っています。
しかし、「技法」は、(私の)心理臨床実践という日常の振る舞いや言葉の中では、「異物」でしかありません。決まった手続きという「形」を持っているからです。同じように、利用者の人たちの生活や人生にとっても、「技法」は「異物」という存在でしょう。
利用者という立場で考えてみると、例えば、週に1回、専門機関でカウンセリングを受けるというような場合には、心理臨床的なサービス(カウンセリング)を利用する場(専門機関)は、利用者の人生の中では、元々からあった場ではなく、カウンセリングを受けるという時点から登場してきた「異物」という存在です。つまり、異界あるいは、非日常という場なのです。異界には、異物がよく似合うような気がします。
もっと、平たく言ってしまえば、カウンセリングは特別な設定の場面で受けることになるので、特別な言葉遣いや特別な方法でカウンセリングが進んでいくことも、ある意味、ごく自然だということです。
一方、私の心理臨床の場は、学校です。学校は、多くの子どもたちにとって「異物」ではありません。毎日の生活の場です。日常なのです。そのような場に、「異物」としての技法を持ち込んでくることに、(私は)大きな違和感を感じます。「技法」は、私の心理臨床実践という日常の中に埋没し、その輪郭も形も失ってしまうようでなければ、本当に、技法を使えるようになったとは、言えないように感じています。
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