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2009年3月

2009年3月31日 (火)

情報商材

どうしても気になるので、書いておきます。

ブログの記事の下に、広告が表示されていることがあります(このブログには表示されていません)。記事の内容に合わせて、リンクが3~4個貼られていることが多いようです。例えば、記事に「不登校」という言葉があれば、不登校に関連した広告が表示されたりしています。

この広告が気になっています。
不登校に関連した広告では、「○日で学校に行くようになった」などという言葉がブログの記事の下の広告(リンク)に表示されています。リンクをクリックしてみると、不登校の子どもにどんな風に関わったらよいかについて書かれた体験談を販売するという広告でした。いわゆる「情報商材」というもののようです。
私の仕事関係で言えば、不登校だけではなく、発達障害とか、そういうテーマに関しても、情報商材の広告が表示されるようです。

情報商材を否定するものではありませんが、情報商材の問題点としては、
料金が適切か? 内容が適切か?
ということが言えると思います。一般の書籍では、内容が確認できるため、料金が内容に応じたものかどうかを確認することができますが、情報商材では、一般にその確認が困難でしょう。

不登校や発達障害に関しては、学問的な背景を持つきちんとした調査や研究に基づく知見が、研究者や実践家向けだけではなく、一般の方に向けても、書籍として販売されています。家族や本人自身の体験談も数多く出版されています。公共の図書館を利用すれば、無料で読むことができるはずです。アマゾンなどで検索して読者の評価を参考に購入するのも良いと思います。一般に公開されていないような、価値ある貴重な情報というのは、なかなかないように思います。

ブログを書いている人に悪意はないにしても、自分の記事を読んでいる読者がそういう広告に誘導される可能性があるということを、ブログを書いている(特に心理的な援助職の)人たちには知っておいてほしいものだと思いました。

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2009年3月29日 (日)

技法

EMDR、SFA、認知行動療法、フォーカシング・・・・いろんな理論があり、技法があります。「技法」が「技法」として成り立つためには、明確な考え方や決まった手続きを必要としています。漠然とした、態度や姿勢では、「技法」とは呼べません。つまり「技法」は「形」を持っています。

しかし、「技法」は、(私の)心理臨床実践という日常の振る舞いや言葉の中では、「異物」でしかありません。決まった手続きという「形」を持っているからです。同じように、利用者の人たちの生活や人生にとっても、「技法」は「異物」という存在でしょう。
利用者という立場で考えてみると、例えば、週に1回、専門機関でカウンセリングを受けるというような場合には、心理臨床的なサービス(カウンセリング)を利用する場(専門機関)は、利用者の人生の中では、元々からあった場ではなく、カウンセリングを受けるという時点から登場してきた「異物」という存在です。つまり、異界あるいは、非日常という場なのです。異界には、異物がよく似合うような気がします。

もっと、平たく言ってしまえば、カウンセリングは特別な設定の場面で受けることになるので、特別な言葉遣いや特別な方法でカウンセリングが進んでいくことも、ある意味、ごく自然だということです。

一方、私の心理臨床の場は、学校です。学校は、多くの子どもたちにとって「異物」ではありません。毎日の生活の場です。日常なのです。そのような場に、「異物」としての技法を持ち込んでくることに、(私は)大きな違和感を感じます。「技法」は、私の心理臨床実践という日常の中に埋没し、その輪郭も形も失ってしまうようでなければ、本当に、技法を使えるようになったとは、言えないように感じています。

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2009年3月24日 (火)

棒付きチョコ

ちょっと不思議Ts3_3

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2009年3月10日 (火)

心理臨床の専門性

ある日、テレビがつけっぱなしになっていて、「あの海が見たい」というようなCM(だと思う)が聞こえてきました。その事をきっかけに、色々と自分の中で、考えるところがありました。

余命の宣告を受けていて病院に入院している人が、「あの海が見たい」という願いを語ったとします。この人やこの人の願いにどんなふうに関わろうとするのか、ということを通して心理臨床の専門性がはっきり分かるような気がしました。

心理臨床的なアプローチ(の中核)では、その人に現実の「あの海」を見させようとすることはあまり考えないように思いました。心理臨床家が現実の「あの海」を見させようと活動することは、その人の現実の人間関係の中で、その事を果たすべき人からその役割を奪ってしまう可能性があることを、心理臨床的なアプローチでは危惧すると思います。

それよりも大切なことですが、心理臨床的なアプローチの中核は、その人のそばに居させてもらって、「あの海」について、その人からお話を聞かせてもらうということにあるように思います。

心理臨床的な世界観では、「あの海」は、現実に存在する物理的な「○○海岸」とか名前の付いている海ではなく、その人の個人的な体験や記憶に根ざした「あの海」だと考えるように思います。なので、その人から「あの海」について、たくさんお話を聞かせていただいて、その人の記憶や体験を教えてもらい、「あの海」についてのその人の感覚やイメージを共有させてもらうということこそ大切なことだと考えるのではないかと思います。

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加圧トレーニングとEMDR

個人的な勝手な印象ですが、EMDRと加圧トレーニングは似ていると思います。

どちらも、他のアプローチに比べて比較的短期間に効果が得られるということ
どちらも、生体に元々備わっている力を、特別な条件を設けることによって、大きく引き出していること

どうなんでしょうか。あくまでも勝手な印象です。

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2009年3月 7日 (土)

少し散らかっている

保健室は、たいていの場合、割ときちんと片づいていて、清潔感があることが多いものです。ケガをした子どもとか、体調不良の子どもとかがやってくるので、半ば病院のような感じで、清潔であること、整理整頓がきちんとできていることが大切なんだと思います。

しかし、少し前に勤務していた中学校の保健室は、今まで私が勤務した学校の中では、最も散らかっていると言っても過言ではない保健室でした。散らかっていると言っても、私の自宅よりは遙かに整理整頓が行き届いていて、清潔感もあります。保健室としては、珍しく、少し散らかっている保健室でした。

実は、その保健室は居心地が良かったのですが、その散らかり具合が居心地の良さにつながっているような感覚がありました。

きちんと整理整頓されている保健室は、清潔感がありますが、ちょっと寒々しい感じがあったりします。その保健室は、少し散らかっていることで、部外者である私もそこにいて良いという感覚をもらえたのかもしれません。

突然ですが、箱庭のアイテムは普通は棚に置いておくことが多いのですが、あまりにもきちんと置いてあると、子どもが自由に手を伸ばしにくくなるということを、箱庭関係の本で読んだことがありました。

少し散らかっていたりするほうが、自然な感じだったり、人間的だったりして、その場が自分を許容してくれる感じがするのかもしれませんね。

私の相談室にはあるものを並べてありますが、間隔を変化させたり、ちょっとずらしてみたりして、あまり整然とした感じがしないように並べてみてあります。自分なりには気に入っていますが、来談した人にはどんな感じにうつっているのでしょうか・・・

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