プレヴァーバルな内容(崖の上のポニョ その2)
リサと宗介が船の上の耕一と、モールス発光信号でやりとりをするシーンがあります。何となく心にじーんと来る場面でした。離れていくのは寂しいけれど、しっかりつながっているような感じが、モールス発光信号のやりとりには感じられました。
この場面を見ながら、携帯でメールをやりとりをすることと、モールス発光信号でやりとりをするのは、どこか違うのだろうか? と考えていました。携帯メールでも、モールス発光信号でもやりとりされるのは、文字でしかありません。その点では、同じなのです。それでも、モールス発光信号でやりとりをする方が、携帯メールのやりとりより、人間くささが感じられます。
じつは、モールス発光信号のやりとりは、プレヴァーバルなコミュニケーションをたっぷり伝えてくれているの
だと思います。例えば、「B」という文字は「ツートトト(-・・・)」だそうです(http://www.nexyzbb.ne.jp/~j_sunami76/morse_koue.html)。「B」は「B」でしかないのですが、その発光信号が点滅するリズムや速さは、信号を発している人の今の気分や雰囲気を反映しているはずです。言葉になりにくい(言葉以前の)感覚や思いは、「B」という文字そのものではなく、その発光リズムや速さを通して、受け手に伝わっていくのでしょう。もし、船がどんどん遠くに離れていくまでずっとモールス発光信号でやりとりを続けていくと、次第に、信号が見えにくくなって、離れていく距離を感じたりするでしょう。携帯メールは、繋がるか繋がらないかのどちらかしかありません。人の心は、簡単に割り切れるものではなく、複雑にごちゃごちゃと、動きつづけるものでしょう。だから、携帯メールよりも、モールス発光信号のやりとりの方が人の心の動きにしっくりくるのかもしれません。
話は飛びますが、絵もCGを全く使わないで全て手で描くアニメーションだそうです。映像を見ていて非常にリアリティを感じました。人間が描く絵なので、人間が感じるリアルさがそこに出てくるのかもしれません。ちょうど、録音された音を聞くと、雑音がうるさく感じるけれども、実際にその場にいると雑音がうるさいわけではない、というようなことと関係があるかもしれません。脳は、情報を取捨選択して、何かに注目して、現実を捉えています。CGのような技術を使って、事実を再現することは、脳が感じるリアルとはずれているかもしれません。ポニョが食べ物を食べながら寝そうになる時の表情は、かなりデフォルメされていて、単なる絵としてはリアルさがないかもしれませんが、「あー、そうそう、こんな感じ、こんな感じ!」と非常に心を動かされるシーンでした。
また、映画館には、子供連れが多く、小さな子たちもたくさん、見に来ていました。今までの経験では、子供向けの映画であっても、小さな子たちはいろいろうるさくおしゃべりしたり、動き回ったり、いろいろと落ち着かないものでした。でも、ポニョの場合映画が始まると、本当に静かになって、小さな子たちも集中して見ているような感じでした。
こんなことを考えていくと、ポニョの映画は、プレヴァーバルな内容が非常に豊かな映画なのではないかなと思います。言葉や概念では捉えにくい内容が豊かで、そこが心に響いてくるのかもしれません。
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