崖の上のポニョ
「崖の上のポニョ」を見てきました。絶賛するより他にないです。
掛け値なしに3歳から103歳まで楽しめる作品だと思います。勝手な想像ですが、他の文化圏でも、同じように人々を引きつけるのではないでしょうか?それだけ、普遍的なものが描かれているように思います。
個人的には、宮崎作品の中で一番すばらしい作品だと思いました。
ネタばれあり
ポニョが宗介に会いに行こうとすることは、甚大な災害を引き起こしてしまっています。何しろ、人工衛星が落下し、月が異常に地球に接近し、巨大な津波で、町ごと海に飲み込まれてしまっています。大げさではなく、地球規模の災害です。そんな中、宗介とポニョは、ポニョが魔法で大きくしたポンポン船に乗って、リサを探しに行きます。その途中で、船に乗って、避難しようとしている人たちに出会います。その人たちが、非常に印象的でした。
避難しようとしている人たちの船には大漁旗が掲げられていて、海のお祭りのようです。大きな災害に遭遇しているのに、悲惨さや悲壮感はなく、しっかりと足がついて立っている感じでした。
このシーンを見て、「風の谷のナウシカ」(原作)の一場面を思い出しました(7巻の最後の方、物語の終わり近く)。ナウシカがシュワの墓所で、墓所の主に向き合っているシーンです。墓所の主は墓所の主の人類を再生する計画を破壊しようとするナウシカに向かい「そなたは闇だ。いのちは光だ。」と非難します。ナウシカは、それに応え「いのちは闇の中にまたたく光だ」と叫ぶのです。
大きな災害が生じたり、世界は闇に包まれるかもしれない、しかし、いのちは小さくまたたいていて、消えそうであっても、光なのかもしれません。
「崖の上のポニョ」の登場人物達は、小さな存在であっても、またたくような光であっても、しっかりと光を放っているように感じました。ナウシカは叫んだけれども、叫ぶことさえ必要ないかもしれません。自分にできることを、自分にできる範囲で、淡々ときちんと行っていくこと、それが素晴らしいことなんでしょうね。
地球温暖化が深刻化してきて、私は、個人的には、自分の子どもたちが、本当に悲惨な目に遭うのではないかと、強く危惧しています(地球が人の住める環境ではなくなってしまうのではないかと心配です)。子どもたちを授かって、私は本当に幸せなのですが、悲惨な世界に子どもたちのいのちをを生み出してしまって良かったのかどうかと、疑問・不安・申し訳なさをつよく感じています。
宮崎監督の作品は、悲惨な世界でも、人間が生きていくプロセスは、美しく素晴らしいものだと、教えてくれるような気がします。ナウシカのように叫ぶ必要はなく、できることをできる範囲で淡々とこなしていくことが、生きていくすばらしさかもしれないと、私を支えてくれます。
« 「ず」か「づ」か | トップページ | プレヴァーバルな内容(崖の上のポニョ その2) »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント