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2008年7月

2008年7月24日 (木)

「ず」か「づ」か

お名前のない方から、
「日本語は正しく使用しましょう。「少しずつ」が正解です。」
と、コメント欄で仮名遣いについてご指摘いただきました。

「少しづつ」と書いたんですけれども、「ずつ」が正しいんですね。私は、どうも、「づつ」が感覚的には、しっくり来ます。学校では「づつ」と習ったような気がしたので、調べてみました。
 昭和61年7月1日に『「現代仮名遣い」の実施について』という内閣訓令第1号に決まりが書いてありました(20年以上前ですね・・・)。

 それによると、「ずつ」が原則で、「づつ」もまあ、許容される書き方ということのようです。

 「ず」か「づ」かでは、余談ですが、その内閣訓令第1号によれば、「稲妻」は「いなずま」が正しいということです。個人的には、何となく「いなずま」は気持ち悪いような気がします。「つま(妻)」という漢字が使われているから、「づま」が正しいような気がしますね。
 稲妻という空中放電が、空気中の窒素を固定して、それが肥料になって、稲がよく生育するということから、昔から稲と雷光は関連づけられていたそうです。稲を実らせるという意味で「稲妻」という言葉が使われるようになったと、どこかで聞いた記憶があります。だから、「稲妻」は「稲」の「つま」なんだから、「いなづま」ですよね、意味的には・・・。
 調べてみると、「稲」+「夫」で「いなづま」だそうです。もっと知りたい方は、以下のリンクをご参照ください。
http://gogen-allguide.com/i/inazuma.html

 この内閣訓令には8項目の前書きがあって、3項目を引用すると
1.  この仮名遣いは,語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし,一方,表記の慣習を尊重して,一定の特例を設けるものである。
2. この仮名遣いは,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを示すものである。
3.  この仮名遣いは,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。
ということだそうです。

結局、「ずつ」が原則なんだけれども、『「づつ」でなければならない』とは言えない、という私の結論です。でも、私も気がつく限り、今後は「ずつ」を使うと思います。
 蛇足ですが、今でも、稲妻は、「いなづま」の方がしっくり来るような気がします。
 言葉や言葉遣いを、ルールで決めるということの難しさをかいま見た気がしました。

 さらに余談ですが、「水」は古来「みづ」であったということを昔高校の授業で聞きました。「みず」は、「見ず」(つまり、「見ない」ということ)だったそうです。私の住んでいた地方では、その当時でも、お年寄りは、「ず」と「づ」の音をきちんと、区別して発音できていたと、高校の古文の先生が教えてくれました。私には、「水」は「みず」ですね。

ところで、「ず(zu)」と「づ(du)」は、日本語では非常に似通った音、あるいは、ほぼ同じ音、として認識されているということだと思うのですが、日本語以外を母国語とする人にとっては、似ている音に聞こえるのでしょうか? 英語の「R」と「L」も日本人にとっては、非常に似通った音、あるいは、ほぼ同じ音、として認識されていると思うのですが、英語を母国語として使う人たちも、似ている音だと感じているのでしょうか? 前からの疑問ですね。

なんだか、何が書きたいかはっきりしませんが、「ずつ」と「づつ」でいろいろ考えてみました。
コメントありがとうございました。

2008年7月11日 (金)

心が元気になる本(大河原美以さん監修)






 私のもっとも尊敬する心理臨床家(カウンセラー)の1人である大河原美以さん(東京学芸大学教授)が監修された「心が元気になる本」をやっと手に入れました。この本は、子どもたちが自分で1人で読んだり、大人と一緒に読んで、自分自身の嫌な気持ちと上手につきあえるようになることを願って書かれているようです。

 早速、読んでみました。

 はやと(小5)とみさき(中2)の2人が、スクールカウンセラーの山田先生と一緒に、自分の中に生じるイライラやクヨクヨという嫌な気持ちについて考えていくおはなしになっています。3巻になると、登場人物が増えて、もう少し大きな問題に直面している子どもたちが登場してきます。

 ところどころに「先輩からのアドバイス」というコラムもあり、大学生が自分の過去の体験を振り返って書いた文章が紹介されています。その大学生の過去の自分自身や、同じような問題に直面している子どもたち(読者)がサポートされているように感じられました。

 心の仕組みや問題について説明している部分もありましたが、子どもたちが、SCの山田先生と相談室でやりとりをしている部分が印象にのこりました。その部分は、実際の会話形式で書かれています。子どもの立場に立てば、自分が実際にカウンセラーと話しているような感覚になり、自分自身の否定的な気持ちがサポートされているような感覚が生じてくるように思いました。また、SCの側にたって読めば、子どもにどんな風に関わればよいのかを実際に体験的に理解できるような気がします。

 全体的に、この本は心についての知識を得る本ではないという印象を受けました。読みすすめるうちに、本の登場人物の体験や気持ちの動きが自然に感じられ、それに呼応して、自分自身の気持ちも自然に動き出してくるような本だと思いました。そういう意味では、「感じる」本です。読み終わった後に、自分自身の中に生じるいやな気持ちも、そっと大切に守っていけるような気がしました。

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 早速、うちの長女(小5)が、「その本、何?」と興味を持ってきたので、長女に勧めてみました。すぐに、読み始めて、ドンドン読み進めていき、その日の内に読み終わってしまいました。そんなに一気に読むものでもないような気がしましたが、内容にすごく引きつけられたようでした。

 長女の感想を聞くと、「途中から、ちょっと、泣きそうになった」とのことでした。「ホッとする感じがした」とも付け加えてくれました。このコメントでは、どんな風に感じたか、何を考えたかということが、今ひとつ分からないのですが、本人なりに、色々と感じるところがあり、でも、十分には言語化できないのかもしれないなぁと思いました。

 「もう少し詳しく聴かせてほしい」とお願いをすると、さらに付け加えてくれました。「学級崩壊とか不登校とか、自分にはあんまり関係ないけど、いろんな気持ちのことが書いてあって、そのことで、自分もいろんな気持ちが湧いてきて、気持ちがいっぱいになってきたけど、最後には、ホッとする気持ちになった。」というようなことを話してくれました。

 子どもが1人で読んでも色々と感じたり考えたりすることはたくさんあると思う本です。子育て・子どもに関わる大人が読んでも、子どもの立場になって、子どもを理解するためにも役に立つように思いました。

 この本は、各学校のスクールカウンセラーの相談室に必要だと思います。遊びに来た子が、何気なく、手にとって読んでくれると、すごく良いと思います。また、小児科の待合室にぜひ置いてほしいと思います。


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