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2008年4月 8日 (火)

闘病の甲斐なく

若くして病に倒れ、亡くなられたある歌手についてのドキュメンタリーが放送されていました。
そのドキュメンタリーの最後の部分で「闘病の甲斐なく、○○歳で亡くなられました」とナレーションがありました。

この言葉に、さびしい気持ちになりました。

確かに、亡くなったことは悲しいし、悔しいし、たとえようのない気持ちがするでしょう。
しかし、闘病の意味がなかったかのように表現することは、余計に悲しい気がします。
亡くなったことは悲しいのですが、闘病によって少しでも多くの時間を共有することができたわけです。
「闘病の甲斐なく亡くなった」と言われると、共有できたその時間そのものの価値がないように言われてしまったような気がします。

私は、「闘病の甲斐があった、おかげで、大切な時間を共有できた。」と言いたいし、言ってほしいように思います。


最終的には、全ての人は、死んでしまいます。死んでしまうから生きてきたことが意味がないわけではなく、生きてきた時間に意味があり・価値があるように思います。私たちは必ず死んでしまうのですが、全ての闘病、そして明日も生きていこうとする小さな努力は、必ず甲斐があるのです。

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