確かな存在
「なんか、最近、うちの学校は、授業に出ないで廊下をうろついている生徒が目立ってきてるんです。そのうちの1人の生徒Aは、相談室の前を通りかかると、通りすがりに、相談室のドアをガンガンけっ飛ばして、「○○おるんかあっ!!!!」と私の名前を呼び捨てにして、大声で叫ぶんですよ。」
ある中学校のスクールカウンセラーが、こんなことを言っているのを聞きました。
私が最初に連想したことは、“この子は、スクールカウンセラーがいない日も、相談室のドアをガンガンけっ飛ばして、大声で叫ぶんだろうか?”ということです。スクールカウンセラーは、週に1日程度しか学校にいないので、学校にスクールカウンセラーはいないことの方が多いのです。スクールカウンセラーが学校にいない日に、その子は、どんな風に学校で人と関わって過ごしているのかなぁ・・・?と想像を巡らせてみました。
もし、その子が、スクールカウンセラーのいない日に、スクールカウンセラーのいない相談室のドアをガンガンけっ飛ばして、「○○おるんかあっ!!!」と叫んでいるとしたら・・・と、その様子を想像すると、切ない気分になります。その子は、何かを求めているのに、何もないところに向かって、叫んでいるわけです。大きなエネルギーが何もないところに向かっているところが、その子が抱える空虚さをはっきりと示しているように感じます。そして、スクールカウンセラーという存在は、その子にとって、いるかいないかつかみ所がない、いてもいなくても同じ「非常に不確かな存在」だということだと思います。
そこで、相談室のドアをガンガンけっ飛ばして、「○○おるんかあっ!!!!」と叫んでくる子には、こんな風に関わってみたいなぁと想像しました。まず、相談室のドアを開けて、「こんにちは、ご用ですか?」と穏やかに応え、チャンスがあれば、「私は、週に1日しかいないけど、スクールカウンセラーがいない日にも、そんなふうに私のこと呼んでるの?」と聞いてみたい気がします。
その子の答えを想像すると、2通り想像できます。
1.スクールカウンセラーがいるいないにかかわらず、相談室の前を通るときに、ガンガンけっ飛ばしている
2.スクールカウンセラーがいる日だけ、ガンガンけっ飛ばしている
1.の場合は、「いっつも呼んでもいねぇし・・・。ほんとに影薄いよねぇー。仕事さぼってばっかだろ、役立たずだし。バーカ!!」などと、答えてくれそうです。そんなときには、「いっつも、呼んでくれてたんだね、ほとんどいないから、申し訳ないねぇ。」と応えたい気がします。
2.の場合は、「いるかいないかぐらい分かってるよ。バッカじゃねぇの?」と応えてくれそうです。そんなときには、「いるかいないかは、どこで分かるの?」と聞いてみたい気がします。「ハァ? いるときは電気がついてるだろっ、ボケ!」などと応えてくれる場合と、「来る日は、○曜日だろ、それぐらい知ってるよ、バカにすんなよ、ボケ!」などと応えてくれる場合があるような気がします。
電気がついているからわかる、という場合と、曜日で分かる、という場合の違いは、その子にとって、スクールカウンセラーの存在が、「確か」なものであるかどうかということの違いだと思います。電気がついているから分かるという場合には、その子にとってスクールカウンセラーは、いるかいないか分からない、いたりいなかったりする、「あまり確かではない」存在だということです。曜日で分かっているという場合には、その子にとってスクールカウンセラーは、いないことも多いけど、いるときははっきり分かる、「少し確かな存在」だということが言えます。
「電気がついているからわかる」と応えてくれる子には、「じゃあ、いるときは必ず電気つけとかないとね。」と応えたいと思いますし、「曜日で分かる」と応えてくれる子には、「たまには違う曜日にも来るから、チェックしといてね」と応えたいと思います。