昼休み終わって5時間目の授業が始まる直前です。廊下で、ある生徒が別の生徒にプロレスの技を掛けています。5時間目の授業に向かった教師がその場面を目撃しました。ちょうどそのとき、5時間目の授業の始まりのチャイムが鳴り始めました。さて、もしこの場面に出くわしたとしたら、どんな風にその生徒たちに声を掛けるでしょうか。
「授業が始まったよ! 教室に入りなさい!」と注意するやりかたは、いじめをなくしていくことと逆行する関わり方でしょう。人を攻撃をしていたという事には全くおとがめなしですので、いじめや嫌がらせが黙認されたようなものです。いくら口で、「いじめはよくない」「人の気持ちを考えよう」と言っても、まったくその言葉の中身がないことになります。授業を予定通り進めることが、いじめ(かもしれないこと)をなくしていくことよりも、明らかに優先されています。子どもたちは、いじめをなくすことに、大人が本気ではないことを敏感に感じ取るでしょう。
グループカウンセリングでは(個別のカウンセリングでも)、このことと同じようなことが起きるのです。その瞬間その瞬間に気持ちが動き、態度や行動に出てきます。それをどのように取り上げどのように関わっていくかが、カウンセリングの最も重要な焦点になります。それをスルーしてしまうカウンセリングは、全くカウンセリングではないのです。
ここで挙げた例では、まず「それは暴力だし、嫌がらせじゃないかな?」と穏やかに指摘したいと思います。攻撃していた生徒は反論・言い訳してくると思いますが、それは取り合わず、「放課後に私のところまで話をしに来なさい」と穏やかに告げて授業に入ればいいと思います。これが最低限のやり方でしょう。
なお、「それはいじめだ。」と決めつけ、「やめなさい。」と注意するやり方には、人の感じ方や考え方の多様性・独自性を許容しない姿勢が現れています。その姿勢は、いじめと根っこでつながっているはずです。いじめをなくそうとして、「それはいじめだからやめなさい。」と厳しく指導するのは、根本的な矛盾をはらんでいます。その矛盾が、大人の見えないところで、弱いものへの攻撃やいじめへとつながってしまうことを私は危惧します。
いじめを本気でなくしていくには、「いじめかもしれない」状況を見過ごさず決めつけず、根気よく対話していくしかないと私は考えています。