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2006年12月

2006年12月22日 (金)

トイレでウンチ

下の子(4歳・男)がやっとトイレでウンチができるようになった。トイレでウンチをさせていると、下の子は、私をじっと見つめてウンチをしている。私は目のやり場に困って、つい目をそらしたりしている。

それで、下の子に、どこを見たらいいかを聞いてみると、「○○くん(自分)の方を見て!」とのこと。

そう言われたので。次回はちゃんと下の子の方を見ていると、気張っているときの表情があまりにも面白くて、吹き出してしまった。それで、下の子も気が抜けてしまい、きちんと気張れなかった様子・・・。

さて、どうしたものか。

さかなクンの「いじめられている君へ」

いじめに関連して、各新聞で、子ども達に向けたメッセージが掲載されています。そのなかで、さかなクンのメッセージがすごく心に残りました。素直で、素朴で、すっとこころにしみこんでくる感じです。メッセージを読むと、魚を全身全霊で愛しんでいるさかなクンの姿(テレビを通してみる姿ですが・・・)が、浮かんできて「外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。 」という言葉が力強く私のこころに響いてくる感じがします。

さかなクンは、TVチャンピオンの魚通選手権の時に見て以来、この人はただ者ではないと、思っていました。
ただの1ファンかもしれません。
さかなクンのメッセージ(asahi.com)
さかなクンのオフィシャルホームページ

ちなみに石田衣良のメッセージも非常に心に残ります。ある意味さかなクンと対照的なメッセージです。石田衣良のメッセージは、どの様にすれば相手にインパクトを与えられるのかがしっかりと計算されているような気がします。職人の業ですね。

全員面接

スクールカウンセラーとして10年ぐらい仕事をしていますが、生徒全員と面接することを一度やってみたいと思っていました。いじめ対策として、予算が組まれ、一人20分で全員と面接するようになるかもしれないようです。いじめの発見や対策の一つとして、全員面接をするのは、ある程度効果があるかもしれません。

ただし、「スクールカウンセラーにできること」「いじめへの対処」という記事で書いたように、ごく日常的な関わりのレベルから、いじめへの対処をして行くことこそ重要だと思っています。そういった日常的な関わりに加えて、全員面接をすることは、いじめへの効果的な対処になるのではないかと思います。

しっかりと構造化できる領域で仕事をすること(例えば今回の全員面接)が、仕事の全てではありません。構造化の度合いが低い領域・分野において仕事をすること(例えば日常のかかわり)が、あってこそ、構造化できる領域で仕事をすることが生きてくるはずです。
もし、構造化の度合いが低い領域でしっかり仕事をしないで、構造化できる領域のみで仕事をすると、上滑りや、お茶を濁すことにつながります。子ども達は、そういう様子を見ていて、本音と建て前は違うんだなぁと理解するはずです。「建前的にはいじめはダメなんだけれども、ホントはいじめもOKだよね」などという感覚を助長しかねません。

いじめ対策に62億円 小5~中2、全員面接 財務省原案 (産経新聞、12月21日)

 児童生徒によるいじめを苦にした自殺が全国で相次いでいることを受け、平成19年度財務省予算原案で、児童生徒への緊急面接やスクールカウンセラーの増員を図る対策が盛り込まれた。いじめを未然に防ぎ、早期発見するための研究事業も新たに始める。
 いじめ対策は19年度に62億円、本年度の補正予算で31億円を計上。補正予算では、小学5年~中学2年の児童生徒全員に1人約20分の面接を実施し、いじめの把握と心のケアも行うためのスクールカウンセラーの緊急配備に23億円をあてた。
 面接の時期は来年2月から3月に集中的に行い、学校の事情で面接対象を柔軟に変更できるようにした。(後略)

ところで、20分の全員面接を効果的にするには、事前の準備がしっかりと必要でしょうね。質問紙を実施するぐらいは最低限度の準備でしょう。役に立ちそうな質問紙を見つけました(「いじめ実態把握に使える質問紙」(さいころじすと日記))です。「いじめ」という言葉は、ある事実関係をそう呼ぶわけですね。それが、いじめだとかいじめでないとか、よく問題になります。言葉を使うときに抽象度の高い言葉を使うと、その言葉が何を指し示しているのかについて、相手と意見が一致しなくて、もめるわけです。そういうことを避けるためには、抽象度の低い言葉を使うことが大切なんですね。「いじめ」ではなく、「昨日は3回髪の毛を引っ張られた」などと、具体的に表現するわけです。そういう視点から、ここで紹介されている質問項目は、非常に具体的で良いなぁと思いました。

糊がない

子どもとコラージュをやろうとしたが、糊が少なくなっていました。事務の職員に、「糊ないですか?」と聞くと、「いやー・・・。ないんですよね。ストックとかないんですよ。」とのことでした。そばで聞いていたある先生が、「あ、私のどうぞ使ってください。」と言ってくれました。どうやら、個人持ちのスティック糊のようなので、「これって先生個人のものじゃないですか?」と聞きました。「いいの。いいの。使ってください。」と気持ちよく貸してくれました。

学校は今、糊を買うお金もないようです。これは、大げさでも冗談でもなくて、「予算が非常に厳しいので、消耗品を最大限節約してください」ということが、文書などで指示されています。これは、スクールカウンセラーではなく、学校全体の問題なのですが、毎日授業をやらなくてはならない先生方は、すごく大変だろうなぁと思います。

お金と人と時間をしっかりつかわないと、よい教育は出来ないと思うのですが・・・。

スクールカウンセラーにできること

いじめの問題に関してスクールカウンセラーに何ができるでしょうか? いじめを受けた子どもの心の支えになることもできるでしょう。また、いじめをする子どもの怒りや攻撃性に関わっていきそれをより良い方法に生かしていくお手伝いも少しはできるかもしれません。しかし、それらだけでは、いじめの関わりとして不十分だし、もったいないような気がしています。

話は、少し面倒なところからはいるのですが・・・。

心理臨床というのは、伝統的に「事後に」「生活とは別の場所で」行われてきました。つまり、何か問題が起きたり悩みが生じた後に(つまり事後に)、専門機関の相談室の中で(つまり、生活とは別の場所で)、カウンセリングは行われてきたのです。つまり、伝統的なカウンセリングの方法は、いじめが生じた後に、いじめについて相談するという形でしか、関われないのです。

しかし学校という場は子どもの毎日の日常生活の場であり、日々問題が生じている場です。相談室の外では、毎日毎日いじめが生じているかもしれません。いじめが生じてしまった後に、いじめの問題に関わるのでは、なんだか本末転倒のような気がします。

日常の場である学校は、伝統的な心理臨床の場とは全く異なった性格を持った場です。このことを活かして、いじめが生じているまさにその場面・その瞬間に、援助的な関わりを行うことができるはずです。

いじめを受けている子どもは、いじめている子どもと一緒に行動していることが多いものです。相談室へ遊びにやってくる子どもたちに開放していると、そういう、いじめられている子ども、いじめている子どもが一緒にやってくることも多いのです。そして、スクールカウンセラーの目の前で、一人が別の一人をからかったり、「いじったり」するのです。その場面・その瞬間こそが介入のチャンスなのです。攻撃する生徒に対して、その言葉や行動・態度に潜む攻撃性を穏やかに暖かく指摘しすることがその入り口でしょう。

ところで、「いじる」というのは、十分にいじめでのようです。

「「いじる」は「いじめ」 /新潟」(毎日新聞 2006年12月4日)
 「いじられキャラ」はテレビでは人気者だ。芸人は「目立ってなんぼ」の世界。目立てば出演が増え、収入も増える。だから芸人は、あえて「いじられ」役を志願する。
 だが、これは芸人の間の話。目立っても何の利益もない、目立ちたくもないのに、周囲から勝手に「いじられキャラ」扱いされたら……本人には苦痛しか残らない。
 「いじる」のは「いたずら」「遊び」。テレビでも「いじられキャラ」が活躍しているじゃないか。そんな考えが世の中にあるような気がする。
 それは明らかな間違いだ。「いじる」は「(必要もないのに)さわったり、動かしたりする」こと。さらに「弱い者をいじめる。困らせる」こと(三省堂「大辞林」)。
 「いじめ」は悪い、ということは誰でも知っている。その事実や、罪悪感を隠すために、「いじる」という言葉が使われているのではないか。だが「いじる」は「いじめる」と同義語である。

2006年12月21日 (木)

いじめへの対処

昼休み終わって5時間目の授業が始まる直前です。廊下で、ある生徒が別の生徒にプロレスの技を掛けています。5時間目の授業に向かった教師がその場面を目撃しました。ちょうどそのとき、5時間目の授業の始まりのチャイムが鳴り始めました。さて、もしこの場面に出くわしたとしたら、どんな風にその生徒たちに声を掛けるでしょうか。

「授業が始まったよ! 教室に入りなさい!」と注意するやりかたは、いじめをなくしていくことと逆行する関わり方でしょう。人を攻撃をしていたという事には全くおとがめなしですので、いじめや嫌がらせが黙認されたようなものです。いくら口で、「いじめはよくない」「人の気持ちを考えよう」と言っても、まったくその言葉の中身がないことになります。授業を予定通り進めることが、いじめ(かもしれないこと)をなくしていくことよりも、明らかに優先されています。子どもたちは、いじめをなくすことに、大人が本気ではないことを敏感に感じ取るでしょう。

グループカウンセリングでは(個別のカウンセリングでも)、このことと同じようなことが起きるのです。その瞬間その瞬間に気持ちが動き、態度や行動に出てきます。それをどのように取り上げどのように関わっていくかが、カウンセリングの最も重要な焦点になります。それをスルーしてしまうカウンセリングは、全くカウンセリングではないのです。

ここで挙げた例では、まず「それは暴力だし、嫌がらせじゃないかな?」と穏やかに指摘したいと思います。攻撃していた生徒は反論・言い訳してくると思いますが、それは取り合わず、「放課後に私のところまで話をしに来なさい」と穏やかに告げて授業に入ればいいと思います。これが最低限のやり方でしょう。

なお、「それはいじめだ。」と決めつけ、「やめなさい。」と注意するやり方には、人の感じ方や考え方の多様性・独自性を許容しない姿勢が現れています。その姿勢は、いじめと根っこでつながっているはずです。いじめをなくそうとして、「それはいじめだからやめなさい。」と厳しく指導するのは、根本的な矛盾をはらんでいます。その矛盾が、大人の見えないところで、弱いものへの攻撃やいじめへとつながってしまうことを私は危惧します。

いじめを本気でなくしていくには、「いじめかもしれない」状況を見過ごさず決めつけず、根気よく対話していくしかないと私は考えています。

2006年12月19日 (火)

いじめや不登校に対応 常勤の教育相談員配置へ

珍しい記事を見かけました。スクールカウンセラー関連の常勤のお仕事です。スーパーヴァイザーのような職務内容かもしれませんね。どの都道府県でも、教育局(教育事務所)ごとに常勤の臨床心理士を置いてスクールカウンセラーのスーパーヴァイズや危機対応を行うことも必要な気がします。私の県でもこんなポジションができるといいなぁと思います。スクールカウンセラーが一人で活動するのではなく、システムやネットワークがきちんと整備されていくことが重要だと思います。

http://www.nnn.co.jp/news/061217/20061217004.html
いじめや不登校に対応 常勤の教育相談員配置へ

 鳥取県教委高等学校課は、来年四月一日から、東部教育局に臨床心理士の資格を持つ常勤の教育相談員一人を配置する。いじめや不登校、悩みを抱える生徒の増加に対応するのが目的。任期は三年で一般公募する。県が常勤の教育相談員を配置するのは初めて。
 現在、県立高校二十四校のうち、十五校に非常勤のスクールカウンセラーを配置。教育相談員は東部の高校を中心に、問題を抱える生徒へのカウンセリングのほか、スクールカウンセラーや教員に対する研修の企画を行うなど、生徒側と指導者側の両面からサポートする。
 募集は十二月二十五日から来年一月二十六日まで。五十歳未満(来年四月一日現在)で臨床心理士の資格を持ち、カウンセラーとしての経験があることが条件。二月十日に採用試験を行う。
 高等学校課は「将来的には期間の延長や増員なども視野に入れて、様子を見ていきたい」と話している。

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