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2006年11月

2006年11月29日 (水)

フリ-ダイヤル 自殺予防いのちの電話

Freedial2006_1_1

フリーダイヤル 自殺予防いのちの電話

12月1日(金)0:00から12月7日(木)24:00
0120-738-556

携帯電話、PHS、公衆電話からもかけられるようです。(衛星携帯電話は不可)
フリーダイヤルなので、この期間中ずっと電話代も無料だそうです。
主催は、社会福祉法人いのちの電話で、後援に厚生労働省とのことです。

毎年この時期に行われています。電話をしてこられる方が多いようで、つながりにくいとも聞きました。
でも、始まって2~3日は、比較的つながりやすいようです。

いのちの電話って、すごく注目されたりはしないんですが、地道に着実に活動を続けていますね。すごいです。

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2006年11月28日 (火)

いじめと出席停止

教育再生会議のメンバーに品川裕香さんというジャーナリストがいます。その品川さんは、上に紹介した本を書いています。「人の痛みや気持ちなんか、全然わからない。わかりたくもない。そう平然と言い放っていた非行少年たちが自分の犯した罪を自覚し、猛省し、変わっていく…。教育者や親の視察・講演依頼が全国から殺到する宇治少年院。その指導の実態と関係者の思いが今、初めて明らかにされる。」と紹介されています。一気に読める本ですし、内容的にも非常にわかりやすく、しかも読んでいてこちらが元気になるような本です。この本で紹介されているような関わりが、広まってごく当たり前のことになってくれるといいなあと思います。

ところで、教育再生会議が、いじめの加害者を出席停止にしてはどうかと提言をしています。私は、これには基本的に賛成です。いままでは、いじめの被害を受けた子が学校に来られなくなってしまう現状がありましたが、加害者を出席停止にするということは、それとは正反対のことになります。いじめは、被害者が悪いのではなくて、加害者が悪い、ということを単なる言葉ではなく、態度や行動、仕組みとして明確にすることだと言えると思います。

さて、現実問題ですが、誰かを出席停止にするとなると、その子の保護者にはっきりと説明し、ある程度の納得が得られるようにしなければならないでしょう。その上で、出席停止にした子どもへの援助・指導が積極的に行われなければならないでしょう。ごくそれが当然だと思われます。宇治少年院で行われたような援助が学校現場で積極的に行われることに強く期待したいと思います。
しかし、現在の学校現場にそれをしっかりとやるだけの人的な余裕はないでしょう。制度だけをいじってもそこに資源を投資しなければなにも変わらないのです。

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2006年11月27日 (月)

いじめ

いじめ

いじめは「what」ではなく「how」の問題として生じています
 たとえば、ある生徒がある生徒に「かっこいい!」と言ったとします。それは、文字面だけをとらえれば、肯定的な表現です。しかし、非常に気まずい失敗をしたときに周囲から「かっこいい」とはやし立てられてしまうと、その「かっこいい」は肯定的な意味合いではなく、否定的な意味をもつと考えてかまわないと言えます。何を言ったか、何をしたか(つまりwhat)ではなく、どのような状況で、どのように言ったかが(つまりhow)、いじめの問題を考える上で重要になります。
 文部省では、いじめを「被害者がいじめだと感じたら、いじめである」というような定義をしています。これは、いじめがwhatの部分で明確に定義できないから、苦肉の策としてこのように定義したのではないかと、私は考えています。

いじめ被害への援助
 いじめが、howの問題として生じているわけですから、もちろん、援助においても、howの部分を重視しなくてはならないでしょう。つまり、いじめがなくなる、解決することのみが重要ではなく、どのようにいじめがなくなるのか、どのようにいじめが解決するのか、というhowの部分が非常に重要なのです。
 また、いじめの状況では、被害者が、いじめの状況や加害者をコントロールすることは、まったく不可能でしょう。被害者は、自分の思い通りにならない事態に陥れられているわけです。従って、援助のプロセスでも、被害者が自分の思い通りに援助が進んでいかないと受け止めることは、被害者にとっては、いじめと同じような状況が再現してしまうといえます。こうなってしまうと、援助者が、必死に援助しようとすればするほど、いじめの被害者は被害的な気持ちを募らせてしまうことになります。
 援助者が自分勝手に思い描く、「いじめの解決の状態」を被害者に押しつけるのではなく、どうなりたいか、どうしてほしいのかを具体的に共通理解を図ることが援助の第一歩だと思います。

いじめ被害への援助が目指すもの
 どんなに良い援助をしても、いじめの事実そのものが消えたり、いじめの記憶がなくなったり、いじめによる心の傷が消えることはありません。その意味でいじめの被害が解決することは決してありえないと言えます。
 それにも関わらず、いじめの被害者がいじめの被害を乗り越えていけるのは、援助のプロセスそのものが、「自分も価値ある存在だ」、「人間は暖かいものだ」という感覚を思い起こさせてくれるからです。
 何をするかということにこだわる援助ではなく、どのようなプロセスをたどって被害者の利益を回復するかという援助を目指すことが必要でしょう。

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2006年11月26日 (日)

自殺防止

昨夜(11月25日)、NHK教育のETVワイドで、自殺について特集番組をやっていました。
途中までしか見なかったのですが、いろんなことを感じたり、考えたりしました。

「自殺はいけない」と言うのは、あまりにも簡単なことですが、それは、自殺を考えている人や自殺者の遺族の方には、全くなんの支えや救いにもならないでしょう。

人間の心は、追いつめられてしまうと自殺を考えてしまうような仕組みをもともと持っているのでしょう。番組を見てそう思いました。そういう仕組みがもともとあるという点では、鼻の穴の中をくすぐるとくしゃみがでる、というような現象と、自殺したくなってしまうということは、同じ側面を持っているはずです。こういうたとえ方をするのは、極端なたとえ方で、不謹慎でしょうか。でも、こういうたとえ方をする方が、はっきりわかりやすいのではないかと、思っています。

鼻の穴の中をくすぐられている人に、側から「くしゃみをしてはいけない」といっても、無理な要求です。それと同じで、自殺に追い込まれている人に対して、自殺してはいけないというのも、おかしな話だと私は思います。

つまり、自殺防止とか自殺予防というのは、「自殺してはいけない」ということではなく、「自殺を考えるほど苦しい状況に人を追い込んではいけない、追い込まないようにしよう」ということなんだと思いました。「自殺しないでほしい」という願いは、「自殺を考えてしまうほどにあなたを苦しませていることが、少しでも軽くなるようにお手伝いしたい」という願いなのかもしれません。

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いじめとスクールカウンセラー

前の記事で書いたように、スクールカウンセラーが配置されたからといっていじめがなくなるとか、そういう単純なことは期待できないと思います。それが、いまのスクールカウンセラー事業の現実だと思います。

しかし、それでも私は、学校にスクールカウンセラーが配置されることは重要だと思います。学校には、教員だけではなく、違う立場の人間も必要だと思うからです。もちろん、スクールカウンセラーだけではなくて、もっと多様な立場から子どもたちを支えていくことが重要だと思います。

神戸新聞にこんな記事が掲載されています。

スクールカウンセラー派遣時間2割削減 2006/11/25
 いじめや不登校などに対応するため、兵庫県内の全公立中学校や一部の小学校に配置されているスクールカウンセラーの派遣時間数が本年度から、二割程度削減されたことが二十四日分かった。学校では月四回の派遣が一、二回に減った。国の補助金が削減されたため全国的に減らされている。関係者からは「いじめなど深刻な状況の今こそ、手厚く配置すべき」と批判の声が上がっている。
(中略)
 派遣時間は、一校当たり一日八時間、年間三十五回の計二百八十時間。長期休暇を除くと、おおむね週一回派遣する計算で国に要望していた。
 前年度末から削減の流れが強まり、最終的には五月に文部科学省から「二割削減」を通告された。県教委分の本年度当初予算額は約四億八千五百万円で、約半分を占める国庫補助が二割減となった。
 県教委は七月、スクールカウンセラーの連絡会で派遣回数を二十八回に圧縮することを報告。各校は急きょ九月以降の計画を組み替えたという。
 県教委義務教育課は「カウンセラーの必要性は高く、予定通りに派遣したかったが、国の補助事業のため削減せざるを得なかった」と説明。しかし、学校現場からは、派遣の増加を求める声が県教委に多く寄せられ、一回分八時間を二回に分けて学校に詰めるカウンセラーもいる。
 また県は二十四日、いじめ問題の対応策としてカウンセラーの重点活用を発表。要請のあった学校に追加派遣する方針だが、「財源は調整中。国の予算枠を広げてほしい」と訴えている。
 文科省児童生徒課は「カウンセラー配置は、全国から予算枠を超えて要望が上がってくる。重要性は十分認識しているが財政事情が厳しく、本年度は全国平均で(要望の)二割減となった。いじめ問題もあり、来年度予算の概算要求に盛り込んだ」としている。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000176095.shtml


また、続きでこんな記事も掲載されていました。

現場困惑「役割大きい」 2006/11/25

 「必要なのに、なぜ減らされるのか」-。兵庫県内の公立小・中学校へのスクールカウンセラーの派遣が今秋から削減されたことに、現場から不満と不安を訴える声は強い。いじめなど学校問題の解決の“切り札”として導入されたカウンセラー。削減分を独自に補う市教委も出てくるなど、役割の大きさがあらためて浮き彫りになっている。
 「教員が生徒とのかかわり方で助言をもらったり、保護者が悩みを相談したり、カウンセラーの役割は年々増している。今後さらに手厚くなると思っていたのに…」。加古川市立中学校の男性教諭は戸惑いを隠せない。
(中略)
 兵庫教育大大学院の冨永良喜教授(臨床心理学)は「学校の聞き取り調査では、カウンセラーを『必要』とする声は百%近い。従来の時間数でも相談がびっしり詰まっていたのが現状ではないか。思春期の子どもたちをしっかりと手当てするために、国は予算を確保すべきだ」と話している。(徳永恭子、宮本万里子)
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000176096.shtml


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学校全体に占めるスクールカウンセラーの仕事量

私が勤務しているある中学校は、生徒数約400人、教職員数23人の中学校です。
そこでは、10月の勤務は半日勤務が5日間(20時間)、11月は半日勤務が4日(16時間)でした。学校は21日(10月)、19日(11月)ありました。

ちょっとした計算をしてみました。
つまり、学校がある日1日あたり、スクールカウンセラーは、
(36時間÷40日=0.9時間/1日)
54分(0.9時間)の勤務になります。

さらに、
スクールカウンセラーの生徒一人あたりの1日の勤務時間は
(54分÷400人=0.135分/人=8.1秒/人)
なんと、8.1秒です。

ちなみに、教員では
生徒一人あたりの1日の時間
23人×8時間÷400人=0.46時間/人=27.6分/人
となります。

単純に量的な比較ですが、スクールカウンセラーは先生方の204分の1の時間なのです。

これは、生徒一人あたりという計算ですので、学校全体としても、スクールカウンセラーは先生方全体の持つ時間の204分の1しか時間がないということです。ある組織のマンパワーが204人分だとして、そこに1人分のマンパワーが加わったとして、その組織のパフォーマンスが、劇的に変化することはないでしょう。

こうやって量的な側面からスクールカウンセラーの仕事を計算してみると、スクールカウンセラーが一人配置されたからといって、不登校がなくなるとか、いじめがなくなるとかいうことは、あまりにも考えにくいことではないかと思います。

私自身、時間がもっとたくさんあれば、スクールカウンセラーとして、もっと色々なことが出来るのに、残念な気持ちがします。

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