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2006年10月

2006年10月14日 (土)

今日はどうする?

相談室登校や別室登校をしてくる生徒たちに、「今日はどうする?」という聞き方をしません。
「今日は、どうする?」という聞き方は、言外に「教室へ行くように」というニュアンスを含んで使われていることが多いように感じるからです。私が、聞きたいのは、単純に今日のその生徒の動きであって、別に教室へ行かせるようにしたいわけではありません。
というわけで、「今日は、このあとの予定とかどうなってるの?」「今日の計画とかってどんな感じ?」とかいう聞き方をしています。

2006年10月13日 (金)

手の内を明かす

カウンセリングの面接の最初はどんな風に始めるんでしょうね。
初回面接では、その回のはじめの頃の時間帯では、ある程度、挨拶があったり、説明があったりするんだと思うんです。これは、カウンセラーの主導で始めますね。

二回目以降はどんな感じなんでしょう。
回数を重ねている面接では、「どうですか?」などとカウンセラーが非常に曖昧な促しをするのかもしれませんね。

なぜ、こんなことを書いているのかというと、
私の場合は、ふと気づいたのですが、まず自分の持っている情報を話すことが習慣になっていました。
スクールカウンセラーなので、学校で勤務している間に、担任の先生方などの関係者から、情報が入ってくることがごく普通です。それを、ごく簡単に、「この前に会って話したのは○日ですね、それから、今日までの間に・・・・、そうそう担任の先生から、○○ってちょっと聞きました。他には・・・。僕の方では、それぐらいですかね。この前会ったときは、確か、○○とかいう話をしましたよね。」
などと、言うことが多いような気がします。

手の内を明かすって言うか、陰で、情報を握っているっていうのは、相手からすると、気分悪いですよね。僕が相手の立場なら、そう思いますね。

共に眺める関係

「共に眺める関係」って、私が勝手に呼んでいるんです。「いわゆる三者関係です。でも、二者関係・三者関係って言ってもわかりにくいんで、「見つめ合う関係」(二者関係)、「共に眺める関係」(三者関係)といつも呼んでいます。

で、「共に眺める関係」っていうのは、専門用語で言う、共同注視ですね。何かを指さすとき、指そのものではなく、指が指している何かに注意を向けることができる能力を人間は、自然に発達させていきますね。それって、よく考えると、すごいことです。だれも、そういうことを具体的に教えてもらって、分かるようになるんじゃないんですね。
この本では、そのことについて、浮世絵の母子像から、論じているようです。すごく、おもしろそうです。

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