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2006年2月

2006年2月 8日 (水)

言葉を感じる

最近好きで良くやっているのですが、

感情を表す言葉を 五感を通してじっくり感じてみるのです。

色、味、手触り、音、匂い
の五つですね

例えば、

その1
色:白かなーと思ってみていたら、よーく見ると灰色だった
味:ほとんどしないが、よくよく味わってみると、薬品くさいような味
手触り:さらさらした感じ
音:ほとんど聞こえないような音だけれども、よくよく聞いてみるとシャーというような機械音
匂い:なし

その2
色:白かなーと思ってみていたら、よーく見るとごく薄いピンク色だった
味:ほとんどしないが、よくよく味わってみると、ごく僅かに甘いような気がする味
手触り:さらさらした感じ
音:ほとんど聞こえないような音だけれども、よくよく聞いてみると電話の「ツー」っていうような音
匂い:ごく僅かに甘いような香りがするが、すぐに分からなくなる

さて、その1とその2の感情は何でしょう?
念のため書きますが、これは、最近の私の場合です。
多くの人に共通するかどうかは分かりません。

身近な人と、クイズみたいにしてやっても面白いですよ。

答えは、
その1 虚しい  その2 寂しい
でした

2006年2月 7日 (火)

常に間違い続けている

 10月さんのブログで、子どもの虐待のことについて書かれていました。そのことから、色々考えたことを書いてみたいと思います。

 愛情があるかないか、愛情を持てるかどうか、ということだけではなく、私(たち)は常に間違い続けているんだと思います。愛情があっても、間違ったり、失敗したり…。私(たち)は、そういうことを毎日毎日繰り返しながら生きている…、と思うのです。

 話が少し飛ぶようですが…。私が小さいときには、近所の酒屋さんの奥にお酒を飲めるようなコーナーがあったりしました。お酒を買って、つまみもそのお店で売っているのを買って、その場で腰掛けて、飲むわけです。その場所は、なんとなく、奥まっていて薄暗く、子ども心には、ちょっと怖い感じで、近寄りがたい印象でした。飲んでいるおじさんも、酔っぱらっているのか、大声でしゃべったりして、やはり怖かったものです。
 それから、私の父親は、教員をしていましたが、やはり、お酒を切らすことはなかったようです。嘘かホントか、授業の前にお酒を一杯やってから、授業に行ったなどという話をよく聞きました。今では、こんなことは、決して許されないでしょう。
 他にも、いろんな不祥事や不正、暴力、虐待などが、昔は表に現れずにごく密かに処理され、何事もなかったように日常が送られてきたことも多かったように想像します。もちろん、それらによって被害を受けた人が存在し、その上に、2重3重の被害を受けることも多かったように想像します。そのような被害をこうむる人たちをできるだけ少なくし、そして、2重3重の被害を防ぐということは、非常に大切なことだと思います。そういうことが、ごく最近になって、少しずつ進んできているように思います。しかし、まだ充分とは言えないでしょう。
 良いか悪いかは別にして、悪や不正、暴力、といったものは、私(たち)自身の身近な暮らしのなかにあったのです。そして、被害も身近な暮らしの中にあったと言えると思います。
 もちろん、被害をこうむるということを、できるだけ生活の中からなくしていこうとすることは大切です。しかし、私(たち)自身が常に間違い続けながら生きているのだと思います。私(たち)自身が、他人を傷付け被害を与える続ける存在だと思うのです。

 私は自分が常に間違いを犯し続けていることを知っています。他の人のことは、分からないのですが、間違いを犯さず生きていくことは、不可能ではないかとさえ思います。東横インの社長が、最初のうちは、自分の勝手な都合を強弁していたのに、泣きながら謝罪の会見をしているというニュースを見ました。その様子を見て、私は自分自身がどうしても重なるように思ってしまいます。自分の嫌な部分を見せつけられるようで、非常に不快なのです。

 私は、私(たち)は間違いを犯し続けながら生きていくしかないのではないか、と思っています。しかし、今の社会は、間違いや失敗をほとんど許容してはくれません。間違いや失敗は、できるだけ取り除かれようとしています。それが表面的にでも成功を収めるのか、全くの失敗に終わるのかは、私には予想がつかない感じがします。しかし、間違いを排除していこうとすることによって、間違い続けていく存在である私(たち)は、自分(たち)自身が生きていく場を狭めてしまっているのかもしれません。

 また、10月さんは、「責任」ということにも言及されていました。私は思うのですが、いくら「責任」を追求しても、私(たち)は決して間違いを犯し続けることから逃れられないでしょう。「責任」を全うして、間違わずに生きていける人は、本当に強い素晴らしい人のように思えます。私は自分自身がそこから非常に遠いところに生きているのを感じています。

 本当に間違いを少しでも減らしていきたいと考えるなら、私(たち)は常に誰かにそばにいてもらい、そして、私(たち)が常に誰かのそばにいるということが必要な気がします。誰かによって支えられ続け、誰かを支え続けるということだけが、間違いを犯してしまうことから私(たち)をほんの少しだけ遠ざけてくれるのではないかと私は感じています。誰かが私(たち)のそばにいて、私(たち)を支え、助けてくれるのなら、私(たち)はもう少し間違いを犯さずに生きていくことができるかもしれません。しかし、それでも、きっと私(たち)は間違いを犯すでしょう。そして、間違ってしまったときには、そばにいる誰かに許してもらうことが必要なのだと思います。

 こんな風にあらためて文字にして書いてみると、「甘い」とか「おかしい」とか言われそうにも思います。この記事自体が、私の失敗であり間違いであるかもしれません。

2006年2月 3日 (金)

ちょっとおもしろい検索語

先月1月のアクセス解析結果で、
どんな検索語でやってきたかを見ると
面白い言葉が2位にランクインしていました。
1位は「スクールカウンセラー」なのですが
2位はなんと、「蟲士」でした。

「蟲士」ではなく、「蟲師」が正しいのですが、
正しくないからこそ、私のブログにみなさんがやってきてくれたわけです。
googleで検索すると
蟲士 の検索結果 約 84 件
蟲師 の検索結果 約 642,000 件
ですから、「蟲師」の場合は、私のブログなんかは完全に埋もれてしまうわけですが、
「蟲士」だと、なんと検索結果の一番上に私のブログが表示されます。

こういうの面白いですね。多くの人が間違いやすい単語や言葉を使って記事を書けば、アクセスを増やすことが出来るかもしれません。でも、そうやって、アクセスを増やしても、意味があるのだろうか…。

2006年2月 2日 (木)

ブリーフセラピーの登竜門

お薦めの本です。
ブリーフセラピーについて楽しく分かりやすく、深く学べる本です。

ここからは、個人的な勝手な印象ですが…。
非常に「上手く」「良くできた」本です。
執筆者達のカウンセラーや研究者としての力量があってこそでしょう。
個人的には、この「上手く」「良くできた」感に何か引っかかりを感じてしまいます。
この本をけなすつもりではありません。
その引っかかりは何なのでしょうか?
きっと私自身の問題なのですが…。

とにかく良い本であることには間違いありません。
お勧めします。

なお、編著者の一人のブログによれば、続編「教師のためのブリーフセラピー」も出版に向けて動いているようです。こちらも期待大です。

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