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2005年8月 7日 (日)

戦争と自分

高校生の頃、疑問に思っていたのですが…。「平和の大切さを伝えるために、戦争の体験を風化させてはいけない」ということに少し違和感がありました。平和を大切であることも、戦争の体験を風化させてはいけないということも、私は全面的に賛成です。でも、この2つが単純に結びつけられることには違和感があります。平和が大切だと分かるためには、戦争が必要になってしまうのです。
しかも、必ず戦争の体験は、風化していってしまうでしょう。歴史の教科書に記されるような、事実としての戦争は記録として残っていくはずです。でも、体験としての、生々しい記憶は、時間が経つに連れて必ず失われていくはずです。これは、悲しいことでもあり、でも、幸せなことでもあるはずです。

私は、戦争は絶対にイヤだし、あってはならないことだと思います。だからこそ、戦争の体験を語り継いでいくこと(はもちろん大切だと思うのですが)だけでは、平和の大切さを感じ、戦争を起こさないようにしようと思う気持ちを育てていくには、足りないように思うのです。

私は思うのですが、戦争は私の外側にあるのではなく、私の内側にあるのです。私の中には、怒り・憎しみ・敵意が確かに存在します。そして、事なかれ主義・現状への追随・大きなものへの迎合もやはり、私の中に確かに存在します。これらときちんと向き合っていくことこそ、私にとっては戦争への反対運動であり、平和活動ではないかと感じています。

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