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2005年7月

2005年7月20日 (水)

クライエントの立場として考えるとカウンセリングは恐ろしいものかもしれない

 最近特に思うようになってきたことですが、クライエントとしてカウンセリングを受けて、自分のことを語るっていうことは、すごく苦しいことだなぁと思うんです。

 自分でも、うすうす気づいていて、それでも気づきたくない自分について、自分で言葉として表現していく…。もちろん、自分自身が、表現したい気持ちを持っているし、でも気づかない(フリをした)ままでいたい…。

 本当に、自分に向き合う作業というのは、苦しいものだなぁと思います。

 もっとも、私は、カウンセリングを受けてそう言っているのではなくて、仕事とか生活とかで、色々あったときに、自分自身を振り返ってみて、自分で自分を振り返ることは苦しいことだなぁと思っているわけです。

 それでさえ苦しいのに、カウンセリングを受けてカウンセラーという他者と一緒に、自分自身を振り返っていくという作業を考えると、空恐ろしいような、気持ちになります。

 自分で自分を振り返るときは、自分でそのペースや進み方をある程度コントロールしていくことができるわけです。むしろ、なかなか進んでいかないと考えた方がよいかもしれません。苦しいからサボってしまい、停滞するわけです。
 でも、カウンセラーがいるときには、そのペースや進み方にはカウンセラーがかなりの影響力を与えるはずです。クライエント(私)がもうちょっとやめておきたいとか、いっぱいいっぱいだと思っても、カウンセラーが、核心に近づくように焦点をあててくる可能性があります。そうすると、私(クライエント)は自分の準備を越えて自分自身に直面させられて、かなり心を揺さぶられ、苦しい思いをさせられるような気がします。もし、自分がクライエントならと考えてみると、カウンセリングを受けることは本当に恐ろしい気がします。

 ネットを見ると、鈍いカウンセラー(自分の世界からだけ見ていて、関係ないことを押しつけてくる)に対する非難・不満をよく見かけるような気がします。でも、私が本当に恐ろしいと思うのは、正しく的確にクライエントの抱えるテーマの核心のほうへ進んでいくカウンセラーです。カウンセラーの言葉が不正確で、ずれている場合には、クライエントとしては、イライラしたり腹が立ったりするかもしれません。不正確ででたらめな言葉ですから、それは流れ弾に当たったようなものかもしれません。そして、確率の問題ですが致命傷にはならない可能性のほうが高いでしょう。しかし、正しく的確にクライエント(私)のテーマの核心に焦点をあててくるカウンセラーの言葉は、おそらく避けることができません。そして、ほぼ確実に深い傷を負います。本当に恐ろしいのはこちらのほうかもしれません。

 しかし、私がクライエントとして求めるカウンセラーは、不正確ででたらめな言葉が返ってくるカウンセラーではありません。
 私がクライエントなら、求めるカウンセラーは、正しく的確に私(クライエント)のテーマを感じ・理解し、そして、進みすぎず、きちんと私(クライエント)の準備ができるまでじっくりと待ってくれるカウンセラーです。

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2005年7月15日 (金)

葉書コラージュ

 この季節になると、よく葉書コラージュを作ります。通常は、コラージュでは八つ切りとか四つ切りの画用紙を台紙にして、雑誌の切り抜きなどをはっていきます。葉書コラージュでは、葉書を台紙にするのです。完成したものは、絵はがきとして使えます(もちろん、使わなくても構いません。)

 この時期に良くやるというのは、生徒と一緒に、「暑中お見舞いのカードを作ろう」ということで、葉書コラージュをやるからです。暑中お見舞いという限定がついて、さらに、台紙も非常に小さいため、生徒の心に深く入り込んでしまったり、感情を揺さぶったりする危険性が通常のコラージュよりも低くなります。
 なので、あまり自己表現が好きではないとか得意ではない生徒を葉書コラージュに誘うことが多いのです。

 実際にできあがったものは、こんな感じになります(私の作品です)。個人的な趣味にも、実用のためにも、葉書コラージュはなかなか使えると思います。
colage

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2005年7月 1日 (金)

財布からお金が抜き取られる

 中学生ぐらいの子どもがいる家庭で時々生じる問題ですが、「置いてあるお金が少しずつ抜き取られているようだ」といった問題があります。私が個人的に考えていることを少し紹介します。

 まず第一に重要なことは、お金は置いてある場所は決まっているということです。第二には、おそらく今後も何度かお金が抜き取られて行くと予想されることです。つまり、単純なことですが、こういった問題の性質上、対策が可能だと言えます。さて、皆さんは、どういった対策を考えますか?

 私なら、お金を置いてある場所に、メッセージを書いた手紙を置いておくことをやってみたいと思っています。
お金が抜き取られる財布の中に、すぐに目に付くようにして、「お金が必要なら言ってください。ここにいくら持っていくかメモしてください。」とか、わかりやすく、簡潔に書いて置くわけです。そして「何か、言いたいことがあれば、いつでも言ってきてください。」などと書いても良いかと思います。大切なことですが、きちんと財布にお金は入れておきます。そしてお金が抜き取られていくかどうかが分かるように、別の場所に金額を記録したうえで、財布は今まで通りの場所に置いておきます。

 もし、それでも、お金が抜き取られ続けるのであれば、さらなる手を打ちます。今度はお金を入れないで、同じ場所に同じように財布を置きます。「必要なお金は、きちんと渡します。だから、きちんと言ってください。」と書いた手紙を入れます。

 このアイディアは、だいぶ前から持っているのですが、自分ではかなり気に入っているアイディアです。でも、使うチャンスがありません。それが残念です。

 親の財布からお金を抜き取るという行動は、見つかっても構わないという気持ちが背景あります。もっと言えば、見つかってほしいとかそういう気持ちを持っているように感じられます。その気持ちにこそ関わっていかなければならないように思います。

 つまり、子どもは親子関係の中に何かを求めて、親のお金を抜き取るという行動をしているわけです。そして、分かっても構わない、分かってほしいという気持ちが動いています。お金を取られないように対処すると、親に何かを求めている気持ちそのものを拒否しているように受け取られてしまうでしょう。それは、なんだか寂しいような恐ろしいような気がします。

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