「確かな」ということ
仕事で子どもと関わったりしていると、ちょっとしたことで相手を不安に陥れてしまうことがあります。例えば、(高機能)広汎性発達障害の子どもと関わるときに、多くの人は、つい習慣で「ちょっと待って」などと言うことがあると思います。実は、この「ちょっと」がくせ者で、「ちょっと」というニュアンスが発達障害を持つ子どもにはなかなか伝わりにくいようです。かなり強い不安に陥れてしまったり、こちらが期待しているようには待ってもらえず、ちょっとしたトラブルに陥れてしまったりすることがあります。でも、よく考えてみると、それは、誰にでもごく当たり前に理解できることなのです。「ちょっと」が30分なのか、5分なのかということは、その場の雰囲気で何となくつかんでいるものですが、よくよく考えてみるとはっきりとは分かっていないものです。
私の仕事は、主として言葉でやりとりして相手に関わっていくのですが、言葉というものは目に見えず形もなく、言葉を伝えている音としての声もその場ですぐに消えてしまうものです。形のあるもの、形として残るものを通して関わっていく場合には、「確か」という感覚が得られやすいと思います。言葉を使って関わる場合、「確かな」感覚を相手との間にどのように共有していくかということが非常に重要だと感じています。
こういったことは、いまの仕事をするようになってから、自分なりに考えてきたことです。ある時気づいたのですが、いまから10年ぐらい前に、バックで駐車する車を車外から誘導したときに、私なりに見つけた工夫が、上で述べたような問題意識とつながっていたのです。車外から車を誘導するときには、意外に、運転手との意志の疎通がうまくいかないものです。単純なことなのですが、壁や障害物まであとどのくらいの距離があるのかを、運転手まで伝えるのに苦労するのです。多くの場合は、「あとちょっと」とか、「もう少し」、「もうほんの少し」などと運転手に声をかけることが多いように思います。しかし、これが非常に問題なのです。車外で誘導している人の伝えたいイメージ(距離感)が、なかなか正確に運転手まで伝わらないのです。運転している人は、「確かな」距離感を持てずにバックをすることになります。
そこで、ちょっとした工夫があります。「あとちょっと」などという代わりに、「あと1メートル」と、はっきりと数字を言うようにするのです。正確な距離が分からないから、○○メートルなどとは、言いにくいと思われるでしょうか? 実は、ここで伝える数字は、正確な数字でなくてもかまわないのです(できるだけ正確であることは構いません)。あと○○メートルと伝えられた運転手は、「あとちょっと」と言われるよりは、遙かに「確かな」距離のイメージを頭の中に描くことができます。そして、誘導する人は、車が移動するにつれて、できるだけ正確な割合で、残りの距離を伝えていきます。つまり、最初に残り1メートルと伝えたら、半分来た時点で、残り50センチと伝えるわけです。このような方法をとると、運転手は「確かな」イメージを頭の中に描きながら、不安が少なく車を駐車することができます。
話は戻りますが、生徒を待たせなくてはならない時には、車の誘導と同じように、はっきりと数字を使って、「○○分待ってて下さい」と伝えることが大切になります。私の印象では、「2~3分待って」よりも、少し時間は長くなるのですが「5分待って」とはっきり時間と特定して伝えた方が、不安を助長しないようです。数字というものは「5」は「5」であって、「6」でも「7」でもなく、非常に「確かな」感覚をもたらすのです。話は広がってしまいますが、痛みの感覚というのは、非常に「確かな」感覚です。自傷行為などは、「確かな」何かを得るために行われていると考えてみることもできます。
話は変わって、また、子育てネタですが…。ちょっとした応用問題です。ある日、娘(4才)をほんの少しだけの時間ですが、1人で留守番させたことがありました。初めての留守番でした。娘はちょうどテレビを見ていましたが、私が「ちょっと出かけてくるから、1人で留守番をしてくれないか」と頼んだところ、不安そうな様子でこちらにやってきました。その時私は、娘の頭の中に「確かな」イメージがないため、不安になっているのだと気づきました。しかしまだ娘は、4才で時計の見方や時間の感覚がよく分かっていません。従って、上に紹介したような「5分待っててね」という方法は単純には、使えないわけです。そこで、ちょっとした工夫をしました。「今見ているテレビ番組が(番組名をはっきり言いました)終わる前に帰ってくるよ」と伝えました。すると娘は少し安心して(と私は思いましたが)テレビを見に部屋に戻っていきました。テレビ番組は、実際にはまだ30分近く残っていて、子どもが一人で待つには長すぎるぐらいの時間でした。でも、「確かな」イメージが持てたということと(時間の感覚がよく分かっていないこともあって)、安心して待てたのだと思います。(実際には、10分足らずで帰ってきました。)
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